【大学駅伝】最後の箱根路/“攻めの走り”でチームを鼓舞した國學院大・伊地知賢造 「悔しいけど、気持ちを押し出すことはできた」
2024年、最後の箱根駅伝を終えた大学4年生ランナーたち。納得のいく走りができた選手や悔いを残した選手、なかにはアクシデントでスタートラインにすら立てなかったエース級もいる。お届けするのは、そんな最上級生たちの物語――。 第100回箱根駅伝総合、往路、復路成績&区間賞をチェック!
主将として悩み苦しんだ1年間
「てっぺん」を目指していた國學院大は、大会直前に体調不良者が続出した。12月10日にインフルエンザに集団感染。さらに“3本柱”の1人である山本歩夢(3年)が12月中旬に故障を再発し、起用が難しくなったのだ。 前田康弘監督は「シード落ちを覚悟した」というほど弱気になったが、主将・伊地知賢造(4年)がチームを盛り立ててきた。 「監督として13回目の箱根でしたけど、12月は一番ピンチでした。そんな時でも『俺らはやれるんだ』という感じで、伊地知と平林(清澄)が頑張ってくれたんです」 伊地知にとって最後の学生駅伝。どん底から何度も這い上がってきた男にとって、負けられない戦いだった。 埼玉・松山高時代は全国大会の出場経験はなく、当時の5000mベストは14分43秒97。同学年内では11番目のタイムで國學院大に入学した。 すると、みるみるうちに急成長を遂げ、学生駅伝は1年時からフル参戦。2年時は全日本8区で区間賞を獲得し、箱根は花の2区を務めた。3年時は出雲と全日本でアンカーを担い、ともに準優勝のフィニッシュに飛び込んでいる。 しかし、箱根は11月中旬に左膝を痛めたこともあり、5区で区間7位と振るわず、チームも4位に終わった。 今季は主将に就任するも、1月末に右足首を痛めて出遅れる。「走りで引っ張るキャプテン像を描いていた」だけに、走れない自分を責めた。一時は「陸上をやめたい」と考えるほど悩み苦しんだという。 それでも4月末から走り始めると、7月に5000mで13分40秒51の自己新をマーク。9月の日本インカレは10000mで日本トップ(8位)に輝いた。3区を任された出雲駅伝は4位に終わったが、アンカーを務めた全日本大学駅伝は3位を確保。最後の箱根に向けては、こんな思いを口にしていた。 「4区あたりの可能性が高いと思うんですけど、2区や5区にアクシデントがあっても僕なら入ることができる。いずれにしても、後ろの選手たちが心を揺さぶるような走りをしたい」