「僕がこの世界にいられるのも、彼のおかげ」。巨人・小林誠司が振り返る、僚友・野村祐輔と過ごした広陵高時代
今シーズン限りで13年間の現役生活にピリオドを打ったカープ・野村祐輔。広陵高時代は2007年夏の甲子園で準優勝などで、一躍その名は全国区となった。 【写真】引退を決断したカープ野村祐輔の思い 広陵高時代、同学年のエース・野村祐輔と共にバッテリーを組み、高校3年間を切磋琢磨してきたのが、巨人・小林誠司だ。常に野村の背中を追い続けてきたという広陵高時代の女房役が、かつての僚友について胸中を語る。 ◆野村と過ごした高校3年間の、1日1日すべてが思い出 引退については野村本人から連絡をもらいました。引退すると聞いて、最初はびっくりした気持ちが大きかったです。そして、日に日に寂しさが増していきました。連絡をもらったとき、まずは「お疲れ様」と伝えて、いろいろな話をしました。野村自身、いろんな気持ちがあるなかで、最後は自分で決断したことだと思います。今、僕がこの世界にいることができるのも、野村のおかげだと思っています。ですので、改めて感謝の気持ちも伝えさせてもらいました。 引退セレモニーはもちろん見ていました。日程や時間が合えば、本当は高校の同期やいろんな選手と一緒に現地で見たかったのですが、それが叶わなかったので、映像で見ていました。最後の投球を見ていても、高校時代からほとんど変わらないリズムだったと感じました。最後に野村のボールを受けたかったですし、対戦もしたかった……という気持ちがありました。野村自身がつくってきた実績、成績というのは本当に誇れるものだと思うので、すごいな、さすがだなと。そしてやはり、寂しさがありましたね。 広陵高での3年間、一緒に過ごしてきた仲ですが、思い出はあり過ぎますし、野村と過ごした高校3年間の1日1日すべてが思い出です。僕は高校1年生の頃は投手だったのですが、そのときは同じポジションのライバルでした。その後、僕が捕手になって野村のボールを受けるようになりましたが、捕手としての基礎・基本を野村にイチから教えてもらったということは、僕にとっては本当に大きかったですね。 僕たちはよく、高校3年生の時の夏の甲子園の決勝に関して話題にしていただけますが、今でも仲間で会うと当時の話をします。結果は準優勝でしたが、『優勝できなかったからこそ、次のステージで頑張れるんだ』という話をすることがあります。もちろん日本一を目指してやっていたので、当時は悔しかったですが、今振り返ってみれば、その結果が良かった、とは言えないですが、そこで負けていたからこそ、今の僕たちがあるのかなと。そういう話をいまだにしますね。 繰り返しになりますが、野村は僕に捕手としての基本、基礎を教えてくれて、ここまで成長させてくれたと思っています。高校を卒業してからも野村は明治大に進学して活躍してすごく注目されていました。プロに入ってからも、素晴らしい成績、活躍をしてきました。僕はいつもその背中を追いかけていましたし、いつまで経っても僕らにとっては〝大エース〟です。そういう背中を追いかけさせてもらって、僕自身「絶対にまた野村と同じ舞台で野球をするんだ」という気持ちになれましたし、負けないんだという気持ちにさせてくれて、本当に僕にとって大きな存在です。 プロ野球選手として現役を引退しますが、これからの人生の方が長いわけなので、野村が経験してきたことを若い選手に伝えながら力になってほしいなと思います。人間性、人柄というのは周囲から評価されていると思います。これからも野球を通じていろんな形・分野で活躍してほしいです。 ■小林誠司(こばやし・せいじ) 1989年6月7日生、大阪府出身 広陵高-同志社大-日本生命-巨人(2013年ドラフト1位) 広陵高時代は同学年の野村とバッテリーを組み、2007年春はベスト8、夏の甲子園では準優勝を経験。プロ入り後は、2017年にゴールデン・グラブ賞に輝くなど、高い守備力を武器とする捕手として長年活躍している。
広島アスリートマガジン編集部