「ならないほうが幸せ」な総理総裁に!? 5度目で総裁選勝利の石破茂氏 本誌が見た〝七転び八起き〟
「#石破かよ」がトレンド入り
石破・高市・小泉の三つ巴の闘いが注目されていた自民党総裁選は9月27日午後から行われた投開票の結果、石破茂元幹事長(67)を第28代総裁に選出した。 【か、カワイすぎるっ…】すごい…「細くて可愛らしかった」幼稚園時代の石破茂氏 史上最多の9人が立候補する大乱戦。第1回目の投票では高市早苗経済安全保障相(63)が181票でトップ、154票の石破氏が続いたが、いずれも過半数に達しなかったため、決選投票に。結果、石破氏が215票を獲得して194票だった高市氏を逆転、総裁選に勝利した。 石破氏は10月1日召集予定の臨時国会で新首相に指名される見通しだ。SNSでは石破氏の総裁選勝利に《石破ショック》《石破かよ》などのワードがトレンド入り。その一方で、裏金問題や統一教会問題などの自民党の暗部を解明してほしいという声や、能登の復興に尽くしてほしいという声もあがっていた。とくに裏金問題への対応には期待がかかる。 本誌’18年6月1日号でのインタビューで、石破氏は当時国会で追及されていた「森友・加計」問題で決済文書を財務省が改ざんしていた事件について次のように批判していた。 「公文書は国民のものであって、官僚のものではありません。その時代の国民、次の時代の国民に対して、行政が適法に執行されたかどうかを示す文書なのです。官邸が大丈夫と言えば大丈夫、国民がどう思っても、官邸が認めてくれればそれでいい。そういう人間が霞が関にも、自民党内にも増えている気がします。自民党の政治家が全員そうだとは言いませんが、どっちを向いて仕事をしているのかと言いたい」 そして、その年の秋に行われる総裁選については次のように意欲を語っていた。 「総理総裁は日本国で最も激務ですし、人間的にはならないほうが幸せでしょう。しかし、当選を重ね、閣僚を何度もやって、党三役も経験したような人間は『私は総理になんかなりません』なんていうことを言ってはいけないと思います。自分にそれ(総理)ができるのか、常に問いかけています」 そしてこのときの「(対立候補が誰も出馬しない)無投票では、自民党の人間が何を考えているのか世間の人に伝わらない」という言葉通り、3回目の総裁選に出馬し、安部首相との一騎打ちに敗れている。 今回5度目の挑戦にしてついに勝利した石破氏。本誌は過去に幾度も彼に関する記事を報じてきた。今回はその一部を紹介する。 ◆【防衛庁長官時代、イラク派兵前夜の忘年会】(’04年1月23日号) 防衛庁(現・防衛省)長官時代の’03年の12月25日、新宿区の防衛庁近くの料亭で行われた長官室のスタッフなど12名での忘年会に石破氏も出席。店内のカラオケルームでピンク・レディーを熱唱するなど、石破氏もかなりノリノリだったようだ。ただ、この日は自衛隊のイラク派遣に備えた第一陣が出発する前夜だった。 石破長官に問いただしたところ、文書で「12月25日は御用納めの前日であり、スタッフの一年の労をねぎらう目的で開催した。(中略)開催場所は緊急時にも対応できるよう、至近の会場を選定した」との回答だった。 ◆【安倍氏に大逆転されて敗れた初挑戦の総裁選】(’12年10月12日号) 政権奪回を担う総裁の座をかけた総裁選は、決選投票で2度目の当選を目指す安倍晋三氏との一騎打ちとなった。1回目の投票では199‐141で大幅にリードしていた石破氏だったが、108‐89で敗れる。当時の本誌の記事では、石破氏の幼稚園時代からのエピソードも報じていた。 ◆【石破茂が首相なら多国籍軍に自衛隊を出す?】(’14年6月6日号) 集団的自衛権行使を目指していた安倍内閣の中で、もっとも尖った発言をしていたのが、当時自民党幹事長だった石破氏だった。テレビ番組では「(安倍内閣では実現しないが)やがて国連軍とか多国籍軍ができたときに、国民の意識が変われば『日本だけ参加しない』というのも、変わるかもしれない」と発言。「邦人を運ぶ米国船が攻撃された場合など限定的にしか集団的自衛権を行使しない」としていた安倍首相よりもかなり先を行っていた。 ◆【安倍氏に身ぐるみ剝がされて「進次郎と二人ぼっち」】(’14年10月10日号) 内閣改造で安全保障担当相のポストを打診されたものの、拒否した石破氏。結局、幹事長を解任されて地方創生担当相を受けることに。ところが予算もない、人もいない、専用の部屋もなく実質的には何もできないというお飾りとしかいいようのないポストだった。選任の副大臣もいない状況で石破氏は直属の部下となった小泉進次郎氏らと週に1度、ミーティングを行うようになる。 スポットが当たった時代もあれば、不遇をかこつときもあった石破氏。首相を目前にした彼の目にはどんな日本が見えているのだろうか。
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