台湾の後輩に日本語で「お疲れ!!」 3年ぶり日本復帰の陽岱鋼、19歳の挑戦に「もっと来いよ!!」
オイシックス入りの陽岱鋼、日本ハムの孫易磊と初めて対戦
プロ野球の日本ハムと巨人でプレーした陽岱鋼外野手は、今季3年ぶりに日本球界に戻ってきた。2軍イースタン・リーグに新たに参加するオイシックス入りし、徐々に出番を増やしている。19日に千葉・鎌ケ谷で行われた日本ハム戦では、嬉しい出会いがあった。台湾の後輩、孫易磊(スン・イーレイ)投手と初めて対戦。生まれ育った土地を若くして飛び出し、日本のプロ野球を志した2人にしかできない会話があった。 【動画】18歳差の“台湾対決”の行方は…陽岱鋼と孫易磊に用意された対決の実際の映像 両チーム監督からの“粋な”舞台設定だった。この日がプロでの初実戦だった孫易磊が初めて対戦したのは、「1番・DH」で先発した陽岱鋼。全球ストレートの勝負を挑んできた母国の後輩を、陽は全力で受け止めた。 「もっと勢いつけてくるかなと思ってましたよ。『もっと来いよ!!』と思っていました。自分の調子がまだまだですけど……。いきなり155キロくらい来てほしかったね」 時折抜ける剛球に手を焼いた。陽はカウント2-2からの5球目、内角への152キロに詰まって一ゴロに終わった。先輩の貫録を見せることはできなかったが、18.44メートルを介して孫の大きなスケールは十分に感じた。「19歳であんなボールを投げられて、大したもんだなと思います。これからまだまだ、いろんなことを勉強するだろうし」と、どこかうれしそうだ。 試合を終えてすぐ、孫は緊張の面持ちでオイシックスのベンチ裏を訪れた。試合前には叶わなかった先輩との対面。陽は突然「お疲れ!」と日本語でしゃべりだした。「なぜか日本語が出ちゃいましたね。途中で『あ、台湾の言葉でいいんだ』と思って」。言葉を変えてからのやり取りで、どんなアドバイスをしたのか聞いてみた。 「先は長いから、とにかく怪我をしないようにということと、あとは勉強することが多いと思うから、少しずつしっかりやっていこうということですね」
自らと同じ道を歩き始めた19歳に笑顔「台湾の高校生は…」
それは、かつての陽が歩いた道だ。鎌ケ谷にやってくるのは、巨人のファームで過ごすことが多かった2021年以来。2006年の日本ハム入りからしばらく暮らした球団寮も、グラウンドもそのままだった。 「僕の19歳の時はひたすら股割りでしたからね。もうヘロヘロになって、ご飯を食べたらまた夜間練習。福良さん(=淳一、現オリックスGM)、厳しかったな。懐かしいですよね」 遊撃手としてプロ入りした陽は、ここで内野守備を一からやり直した。股関節の柔軟性をつけるため、連日の股割りで悲鳴を上げていた。孫にもこれから、日本だからこそできる様々な発見が待っているだろうと言う。 「台湾の高校生は、みんなアメリカに行こうとするんですよね。中々日本には来ない。彼はすごい決断をしたと思うし、僕も正直楽しみですよ。日本は上下関係も厳しい。そこに19歳でいきなり飛び込んで……。周りはみんな大人で難しいこともあると思う。疲れることもあると思うけど、応援したい」 この日の孫は1イニングを投げ、四球を1つ与えただけの無失点で降板した。当然、次の対戦もあり得る状況だが陽は「もっとイニングを投げられるようになれば、たくさん対戦もできる。でもその前に、自分の調子を何とかしないとね……」と苦笑いだ。翌20日はスタメンを外れたものの、今度は自分のために貴重な舞台と言葉を得た。