『キャプテン翼』連載終了=高橋陽一の引退ではない ネームの形で物語を描き切るという英断
『キャプテン翼』などのヒット作で知られる漫画家・高橋陽一の“重大発表”が話題になっている。これは、1月5日に発売された「キャプテン翼マガジン」vol.19に掲載された長文のコメントで、今後の『キャプテン翼』シリーズの展開――引いては、これから先の高橋自身の漫画家としての在り方などが述べられている。 それによると、「連載漫画」という形式での『キャプテン翼』シリーズは、次号(4月初旬発売予定)の「キャプテン翼マガジン」掲載分でいったん終了し、その後はネーム、もしくはそれに近い形で、物語を描き続けるつもりなのだという(発表形式などは未定)。 この決断には賛否両論さまざまな意見があるかもしれない。しかし、作品とキャラクター(さらには作者の健康)のことを思えば、ベストな選択だったという他ないだろう。そこで本稿では、あらためて高橋陽一の今回の決断について考えてみたいと思う。 ■なぜこのタイミングでの連載終了か? 高橋陽一は、1960年生まれ。1981年に「週刊少年ジャンプ」にて連載開始した『キャプテン翼』が大ヒットし、一躍スポーツ漫画の描き手としてその名を不動のものにした。 1988年、『キャプテン翼』は人気絶頂のままいったん連載を終了するが、その後も「ワールドユース編」を経て、「ROAD TO 2002」から現在連載中の「ライジングサンTHE FINAL」にいたるまで、現実のサッカー界の動向とリンクする形でシリーズは継続中だ(主人公の大空翼は、現在、FCバルセロナに所属、また、日本チームを率いてマドリッド五輪で戦っている)。 そこで今回発表された高橋のコメントに話を戻すが、最も注目すべきは、やはり、なぜ彼がこのタイミングでの連載終了を決断したかだろう。 ■漫画の世界の「デジタル化」の問題 高橋によると、その主な原因は、「体力の衰えと執筆環境の変化」にあるのだという。前者については説明不要かと思うが(何しろ連載漫画は、どんな形であれ体力勝負である)、後者の「執筆環境の変化」とは、いったいどういうことなのだろうか。 それは、一言でいえば、漫画の世界の「デジタル化」への対応が困難になってきているということのようだ(他にも、コロナ禍におけるスタッフとの仕事の進め方にも苦労したようだが)。 具体的にいえば、たとえば、(デジタルでの作画が主流になったことで)「数十年使い続けてきた」スクリーントーンが相次いで生産中止となり、「数少なくなった在庫をやりくりしたり、他の版で代用しなくてはいけなくなったりして、思うような画面作りが難しくなってきた」とのこと。これについては、PCを導入し、画像加工ソフトを使えるアシスタントを雇えばいいだけではないかと思う向きもおられるだろうが、“作家”にしかわからない道具へのこだわりや、アナログならではのテクニックというものはあるのだ。 また、高橋はコメントの中で詳しく触れてはいないが、おそらくは、この「デジタル化」という言葉には、漫画の「描き方」だけでなく、「読み方」の変化も含まれているのではないだろうか。 というのは、周知のように、現在はスマホで漫画を読む人が少なくないと思うが、その場合、基本的には1ページ単位で画像が表示されるため、どうしても見開きのページは中央で分断されてしまう。これは、高橋のような見開きを多用するタイプの漫画家にとっては痛手でしかないだろう。 そもそも高橋のサッカー漫画は、「見開きの多用」どころか、試合が白熱している場面においては、変則的にコマが割られた見開きのページを連続してつないでいくといういささかトリッキーな特徴を持っており(通常、漫画の流れに緩急をつける役割を持っている見開きのページを、連続してつなぐことはあまりない)、この大胆なフォーマット(レイアウト)は、やはり紙を綴じた「雑誌」ないし「単行本」の形を想定して作られているのである。 が、まあ、これについては、スマホがこの先もずっといまの形で残っていくかどうかは不明なため(そして、全ての読者がスマホで漫画を読んでいるわけでもないため)、あえてこれまでのスタイルを変える必要はないのかもしれないが……。 ■ネームの形で物語を描き続けるという英断 また、個人的には、「体力の衰え」を自覚しながらも、この先も『キャプテン翼』の物語をネームの形で描き続けようという、高橋の漫画家としてのアティチュードに感動した。そう、今回の「発表」を、事実上の引退宣言と受け取っている人も少なくないかもしれないが、何も高橋は、漫画家であることをやめるといっているわけではないのだ。 このことについて、高橋はこう述べている。「頭の中には『キャプテン翼』の一応の目安の最終回まで、構想が」ある。しかし、シリーズ完結までいまのペースで続けていくと、少なく見積もってもあと40年以上はかかってしまい、その頃、「僕は100歳をゆうに超えています」。ならば、とりあえずはネームの形ででも物語を最後まで描き切っておいて、(仮に自分が関われない場合は)続編の漫画やアニメの制作を未来の“誰か”に託したい、というわけだ。 これは、作者の死によって中断した『サイボーグ009』(石ノ森章太郎)や『ベルセルク』(三浦建太郎)などのケースと照らし合わせてみても、かなり現実的な考えだといっていいだろう(※前者は石ノ森が遺した構想ノートを元に、小野寺丈、早瀬マサト、シュガー佐藤らの手によって『サイボーグ009 完結編 conclusion GOD’S WAR』として完結した。また、後者は、三浦から物語の最後までの展開を聞かされていた森恒二が監修を務め、『ベルセルク』の元スタッフたち(スタジオ我画)が再集結し、連載を継続中だ)。 いずれにせよ、春には『キャプテン翼』という稀代のサッカー漫画がいったん幕を閉じることになる。日本代表のワールドカップ出場が夢のまた夢だった頃に始まったこの長大なビルドゥングスロマンが、現実の世界に与えた影響は計り知れないものがあるだろう。 むろん、大空翼の成長と活躍は、今後もネームの形で続いていく。高橋陽一の決断を、いまは心から応援したいと思う。
島田一志