【黒柳徹子】最愛のお友達、作家・脚本家の向田邦子さん
黒柳徹子さんが、当時その暮らしぶりが、とても自由で颯爽として見えたと語る向田邦子さんについて、今回はお話しします。 黒柳徹子が向田邦子さんを「初めてみて思ったこと」とは?
私が出会った美しい人【第21回】作家・脚本家 向田邦子さん
「あ、きれいな人がいる」 それが、向田邦子さんを最初にお見かけしたときの印象です。ラジオの連続ドラマに出演するために、私が赤坂のTBSスタジオを訪れると、スタジオのガラスの向こうで何かを必死に書いている女性がいて、それが向田さんでした。当時からホンを書くのが遅かった向田さんは、次の回のための脚本を、スタジオのガラスの向こうで書いていたのです。当時、向田さんは30代半ばぐらい。誰かに「脚本家の向田邦子さん」と紹介されたとき、黒い髪がツヤツヤとしていて、私が思わず「髪がすごくキレイ」って呟くと、「どんなときも頭だけはね。他はともかく」と言って、向田さんは、大人っぽく微笑んだのでした。 向田さんのいう「他」というのは、たぶんお化粧のこと。確かに、ファンデーションなんて塗ってなくて、化粧水で整えた肌に、濃いめの口紅を塗っておしまい、みたいなさっぱりしたメイクに、服装も黒がベース。全体的に落ち着いた雰囲気があって、フワフワのヒラヒラが好きな私とは対照的でした。でも、自分に似合うものがわかっているのか、身につけるものすべての趣味が良くて、知的な雰囲気もあって、私はたちまち向田さんのことが大好きになったのです。 その何年か前、向田さんは、「森繁の重役読本」というTBSのラジオドラマで、当時から名俳優として名を馳せていた森繁久彌さんから、その才能を認められていました。私が向田さんと出会ったのは、まさに彼女が売れっ子になろうとしている頃。犬が出てくるドラマだった記憶はあるのですが、タイトルは覚えていません(笑)。それからしばらくして、女優の加藤治子さんに「遊びに行かない?」と誘われて、今の西麻布にある向田さんのマンションを訪ねてから、私はそこに入り浸るようになりました。 木造モルタル3階建ての2階にある「2-B」の部屋に向田さんは1人で住んでいました。「霞町マンション」なんて洒落た名前はついているけれど、建物自体は、今でいうアパートみたいな感じ。そんなに広くはない部屋には、玄関を入って右手に仕事机があって、その隣にソファーがあって、ソファーの向かいにある本棚の上では、シャム猫がいつも昼寝をしていました。同じ部屋にいるからといって何かおしゃべりをすることもなく、私が台本を読んでいる隣で、向田さんは読書をしたり、原稿を書いたり。でも、お腹がすくと向田さんはパッと頭にヘアバンドを巻いてからキッチンに立ち、冷蔵庫のありものでパパッと美味しいものを作ってくれるのです! 当時の私はまだ親元から仕事に通っていたので、向田さんの暮らしぶりは、とても自由で颯爽として見えました。