話題作次々出演の俳優・岩谷健司、40代半ばまでは「バイト生活」 AD時代には国民的歌手を2時間待たせる大失敗「励ましてくれました」
※岩谷健司(いわや・けんじ)プロフィル
1970年2月25日生まれ。青森県五所川原市出身。1992年、WAHAHA本舗に入団し、1999年に退団。2002年、俳優・村松利史さんと岡部たかしさんとともに演劇ユニット・午後の男優室を結成。山内ケンジさんの脚本・演出による演劇ユニット・城山羊の会、岡部たかしさんとの演劇ユニット・切実などで活動。2009年の『若義母 むしゃぶり喰う』(竹洞哲也監督)をはじめ、多くのピンク映画に出演。映画『At the terrace テラスにて』(山内ケンジ監督)、映画『空母いぶき』(若松節朗監督)、連続テレビ小説『なつぞら』(NHK)、『科捜研の女』(テレビ朝日系)、『9ボーダー』(TBS系)、『地面師たち』(Netflix)など出演作品多数。2024年8月17日(土)~23日(金)まで映画『輝け星くず』が大阪・第七藝術劇場で公開。2024年8月23日(金)には映画『ラストマイル』(塚原あゆ子監督)の公開も控えている。
WAHAHA本舗に入ることに
岩谷さんは制作会社を半年ほどでフェードアウトするようにして辞めたという。 「今ほど携帯電話があるわけじゃないから、追っかけられないっていうか。家にしか電話がないから出なきゃいいわけで(笑)。 でも、そのときに世話になっていた制作の人で、俺のことを『もう辞めるんだな、こいつは』と思っていた人がバイトを紹介してくれて。洋服屋さんのタカキューってあるじゃないですか。そこでバイトしていました。 楽しかったし、成績も良かったんですけど、ずっとやっていようとは思ってなかった。期限があって、そこからまたさらに続けるかどうかっていうときに『もういいかな』みたいな感じになって。それからは建設現場とか、船に乗ったりとか…いろいろやっていました。 東京アクアラインを作る船に乗って、東京湾の真ん中で作業員のご飯を作る食堂で働いていたんですけど、すごく忙しくて、一度味噌汁をバーッとやっちゃったんですね。使えないじゃないですか。そうしたら、今度は夜中に風向きを調べるという仕事に移されちゃって、1時間に1回風向きを調べてメモするだけなんですよ」 ――いろんな仕事があるのですね。まだそのときにはお芝居をやろうという気は? 「まだなかったかな。お笑いライブを見に行ったりしていたので、そういうことをやっている友だちはだいぶ増えていて、なんとなくやってみたいかなっていう気持ちもちょっと出てきていた頃だと思いますけどね」 ――実際にやりはじめることになったきっかけは何だったのですか。 「同じアパートに住んでいた友だちがお笑いライブに出ているときに、ある芝居に役者として誘われたんですよ。それで、人数が足りないから誰かいないかなみたいな感じで。『やってみる?チョイ役かもしれないけど』って言うから『やってみます』って言って参加したのがWAHAHA本舗がやっている若手公演だったんです」 ――やってみていかがでした? 「初めてやったわりには、すっごいウケるんですよね。『あれ?イケるんじゃねえか?』みたいな(笑)。そうしたら、WAHAHA本舗の主宰者の喰始(たべ・はじめ)さんが、『次のワハハの公演があるんですけど、それも出てもらえませんか』みたいな話になって。 それで出たんですけど、ワハハに入る気はなかったんですよね。なぜならそのときワハハの女の子と付き合っちゃっていたから(笑)。自分の彼女が所属している劇団に入るのってイヤですよね。それで、何回もお断りしていたんですけどね」 ――喰さんは、そのことを知らなかったのですか。 「知らなかったです。それはもちろん言う必要もないし、バレもしなかった。でも、ずっと誘われていたので、一応彼女にも言ってちょっとだけ入ることになったんですけど、やっぱり彼女と同じ劇団にいるとうまくいかなくなりますよね。 結局、ワハハには7、8年いたのかな。村松利史さんとか吹越満さんとか、個性の強い役者がいっぱいいて、いろんな人がいたからおもしろかったんですけど好きだった人がみんな辞めちゃったんですよね。 そもそもワハハも村松さんがいたから入ったっていう感じだったんですよね。その村松さんが辞めちゃったから、『自分でやります』みたいな感じになって。 前にワハハの若手公演の演出を喰さんじゃなくて、九十九一さんがやったことが1回あったんですね。それで九十九さんに相談したところ、『うちに来いよ』って言ってもらえて。その頃九十九さんを中心に結構人が集まっていたんです。その中に東京乾電池の若手だった岡部(たかし)もいて知り合ったという感じですね」 ――ワハハのときは、アルバイトしなくても生活はできたそうですね。 「ギリギリでしたけどね。あといろいろなお手伝いとか雑用もあったし、営業とかも結構多かったので何とか生活できていましたけど、ワハハを辞めてからは肉体労働とかも15年ぐらいやったんじゃないかな。バイト生活は長かったですよ、つい最近までというか、45、6までやっていたんじゃないですか。岡部のほうが2つ年下なんだけど、多分同時期ぐらいまでやっていたんじゃないかな」 ――岩谷さんもかなり映像作品へのご出演が多いイメージがありますが。 「芝居だけで食べていくのは難しいですよね。それ一本でいこう、なんていう気はなかったですしね。ちゃんと仕事を持って空いている時間にやるみたいなスタンスで。今はありがたいことに忙しいことが多くて、ちょっと自分の理想としていたのとは違ってきちゃったかもしれない。『あれっ?』と思う自分もいます」