江夏の21球から加藤放言。過去9度のシリーズ逆転史に横浜DeNAが加われる?
横浜DeNAが崖っぷちに追い込まれた。日本シリーズはソフトバンクが本拠地で連勝、今日31日から横浜に場所を移して第3戦がスタートする。横浜DeNAにすれば、DeNAが球団経営に乗り出して初の日本シリーズで真っ青に染まるファンの後押しを味方につけたいところだろうが、過去連勝したチームの日本一確率は74・3パーセント。圧倒的に不利である。 それでも横浜DeNAファンは悲観することはない。日本シリーズの歴史で2連敗から逆転日本一を奪ったケースは、引き分けスタートも含むと9度もある。1958年の西鉄(対巨人)、1962年の東映(対阪神)、1979年の広島(対近鉄)、1980年の広島(対近鉄)、1989年の巨人(対近鉄)、2000年の巨人(対ダイエー)、2011年のソフトバンク(対中日)、2016年の日ハム(対広島)の8度と、引き分け後の3連敗から4連勝で広島に逆転した1986年の西武を含む9度だ。 3連敗からの逆転劇も3度あり、それは奇跡と呼ばれるものかもしれないが、たとえ王手をかけられても、まだ横浜DeNAがギブアップすることはないのである。 ただ、逆転史にはドラマがある。 必ずメディアが名付ける代名詞のようなシーンが絡む。連敗からひっくり返すのは、それくらい劇的な要因が必要だということだろう。 1958年は、西鉄が巨人に3連敗したが、雨で第4戦が流れると、高熱で体調を崩していた大黒柱の稲尾和久の体調が戻り、ここから、なんと4連投4連勝。「神様、仏様、稲尾様」のフレーズが生まれた。 1979年の広島ー近鉄の激闘は第7戦までもつれこみ、あの9回無死満塁のピンチを逃げ切った「江夏の21球」のドラマがあったシリーズ。 1989年も、3連敗の後からの4連勝。1989年のシリーズには、筆者は現場にいたが、3戦目に東京ドームで、勝利投手となった近鉄の加藤哲郎(現、プロ麻雀師)が「巨人はロッテより弱い」と発言したことで巨人が発奮。そこから第4戦で香田勲男(現阪神投手コーチ)が完封勝利、第5戦は原辰徳が満塁アーチ、第7戦では、先制ソロを放った駒田徳広(現、独立リーグ高知監督)が先発の小野に「バーカ!」と発言、4連勝で逆転日本一となった。 第4戦をエースの阿波野秀幸でいくか、小野和義でいくか、起用法について故・仰木監督と権藤投手コーチが内輪もめをしたり、逆に巨人は、引退を決めていた中畑清の花道シリーズなどもあって、脅威的なまとまりを見せた。藤井寺球場での第7戦では中畑が有終の美を飾る本塁打を放っている。 ちなみに加藤氏が「巨人はロッテより弱い」と発言したか、どうかの真偽に関しては、後々、様々な説が流れた。筆者は、その場で取材をしていたのでハッキリと覚えているが、お立ち台で「(巨人には)打たれそうな気がしなかった。たいしたことはなかったですね。シーズンの方がよっぽど、しんどかったですよ。相手も強いし」と語り、ロッカーに戻ってきた加藤氏に、ベテランのスポーツ紙記者の一人が、「そうか、巨人はたいしたことなかったか。ロッテより弱かったやろ?」と聞くと、ハイテンションの加藤が、「そうそう」と相槌を打ったのである。 当時のスポーツ紙では、そういうやりとりがあった場合、質問そのものが、コメントとされる場合がよくあった。 真相は、そういうことである。言っていないといえば言っていない、そのコメントに同意したといえば嘘ではない。なんとも微妙なコメントが大問題に発展したのである。