GT-RのライバルはGT-R。最後の勇姿を見るために富士インターTECには9万人以上の観衆が集まった
80年代、自他共に認める「レースの日産」は、グループA/Cとメーカーの真価が問われるレースで苦境に立たされていた。とくにメーカーの看板を背負う量産車ベースのグループAは、R30・RSターボ、R31・GTS-Rが大苦戦。だからこそ満を持して登場したGT-Rが送り出された。しかし、その活躍は予想以上。GT-Rは帝王だった。 【画像16枚】群雄割拠のグループA最終年。それでも際立つ強さを発揮したのはカルソニックスカイラインだった 【国内モータースポーツの隆盛 特別編】 また、第4戦の鈴鹿戦をアクシアが制したことで、全8戦中で星野組(3勝)と長谷見組(2勝)で5勝。前年までとは勢力分布が変わるシーズンだった。しかし、シリーズタイトルは長谷見が獲得。長谷見組の強さは、取りこぼしがなくコンスタントに上位ポイントを稼ぐ安定度の高さにあった。 グループA最終年となる93年は十勝サーキットが加わり、まさに北海道から九州まで、全9戦の大シリーズとなった。GT-R勢の顔ぶれに大きな変更はなく、共石が鈴木利男/飯田章に交替、アクシアがBPトランピオとなったあたりが目立つぐらいだった。 この年は群雄割拠で、ユニシアジェックス、共石、タイサン、HKS、BPトランピオが各1勝。逆に4勝をマークしたカルソニックの強さが際立つことになり、影山正彦がシリーズタイトルを獲得。もはやGT-RのライバルはGT-Rという状態で、立ち向かうライバルも現れなかった。 まさにJTCの締めくくりとなる富士インターTECに集まった観客は9万4600人。そのほとんどはGT-R最後の姿を見届けるためだった。 初出:ハチマルヒーロー2017年1月号 vol.39 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部