笑顔で引退会見のヤクルト・青木が一転、もらい泣き 号泣で花束贈呈の村上に「俺も涙出てくるよ~。やめてくれよ~」
ヤクルト・青木宣親外野手(42)が13日、都内の球団事務所で引退会見を行った。 終始笑顔で会見した青木が後輩の涙にもらい泣きした。会見の最後に山田と村上が花束贈呈。涙に暮れる村上の姿に「俺も涙出てくるよ~。やめてくれよ~」と涙腺が緩んだ。村上が「いい野球人生を歩めたり、いい人生を歩めたのは本当に青木さんと出会ったのが大きい。泣くつもりはなかったんですけど申し訳ないです。ありがとうございました」と感謝を述べると、涙で抱擁した。 【写真】抱き合い、顔をくしゃくしゃにして泣く青木と村上→泣きはらして目が腫れる 会見で青木はメジャーから2018年にヤクルトに復帰して以降、後輩たちを指導してきたが「自分の方から話しかけていった。もうベテランなので、かけやすい立場ではないと思って、自分を知ってもらって、会話がはずむように何でも聞けるように距離を縮めていけるようにはしました」と説明。特に村上の存在については「年々成長していったので、今でこそ苦しんでいるけど、プロ野球生活では必要なこと。幸せな野球人生を送って欲しいなと思います」とエールを送っていた。 青木は2004年に早大からドラフト4位でヤクルトに入団。12年からはメジャーにも挑戦し、17年には日米通算2000安打を記録。18年から古巣・ヤクルトに復帰した。 ドラフト時には「ヤクルトに指名されたい」と願い、海を渡る前には「また帰ってきてほしいと言われる活躍がしたい」と表情を引き締めた。また18年に古巣へ復帰した際には「この球団を愛している」と言葉にした。ミスタースワローズと呼ばれ、ヤクルトと相思相愛だった21年間。歴代5位の日米通算2723安打という誇りと結果を胸に、惜しまれながらユニホームを脱ぐ。 ◇青木宣親(あおき・のりちか)1982年1月5日、宮崎県日向市出身。日向高から早大を経て2004年ドラフト4位でヤクルト入団。05、10年にプロ野球史上唯一の2度のシーズン200安打以上を達成した。11年オフに大リーグ・ブルワーズに移籍。17年に日米通算2000安打を達成し、18年にヤクルトに復帰した。06、09、17年WBC、08年北京五輪日本代表。175センチ、80キロ。右投げ右打ち。