ある日いきなり難民になる不条理 大詰めのモスル奪還作戦を追う
過激派組織「イスラム国」(IS)のイラクでの要衝モスルを奪還する作戦が大詰めを迎えている。イラク軍は街の多くをISから解放したものの、旧市街地ではISが一般市民を「盾」に抵抗を続けていると報じらる。激しい戦いに翻弄されるモスルの一般市民をフォトグラファーの鈴木雄介氏が追った。
IS支配地域から脱出する者、解放地区に戻る者
イラク第二の都市で180万の人口を抱える都市モスル。2014年以降、過激派組織「イスラム国」(IS)の最大拠点となったこの街では、西部にISが立てこもって最後の抵抗を続けている。米国が主導する有志連合のバックアップを得たイラク軍とイラク警察が徐々に彼らを追い詰め、モスル奪還は時間の問題である。 しかし、3月に行われた米軍による激しい空爆や市街戦で、街は大きく破壊されてしまった。そこに住んでいた市民は、IS支配地域から命からがら脱出してくる者もいれば、解放された地区に戻る者もいる。いまだ混沌としたモスル西部の様子を5月に、イラク警察軍の許可を得て撮影することができた。
道路にできた大きな“クレーター”
モスル郊外のイラク軍基地を出発し、何重ものチェックポイントを抜けてモスル市街に入ると、凄まじい市街戦の傷跡が目の前に広がった。 道路のど真ん中にぽっかりと空いた大きな“クレーター”。直径5メートルはあるだろうか。280人近い一般市民の犠牲者を出した3月の米軍空爆の跡だという。右を見ても左を見ても、見えるのはえぐられたアスファルトと崩れかかったビルの残骸。電柱や街頭がグニャグニャに折れ曲がり、あちこちに焼け焦げた車が転がっている。 形を保っている建物にも無数の銃痕がある。 この街が一体、以前はどんな姿だったのか想像もつかない。ここはイラク第二の都市だ。さぞかし多くの人で賑わっていたことだろう。これらの建物の中にいた人たちは一体どうなったのか。凄まじい爆撃と銃撃の音に震えながら、瓦礫の下に埋まってしまったのか、それとも無事に逃げ出すことができたのだろうか。一般市民の住む市街地が戦場になるということは、まさに地獄である。