川上麻衣子の「実家じまい」約30年間手つかずの家を手放し「日記帳は処分しておくべき」
17歳まで暮らした東京・町田市の家を、2023年に「実家じまい」した川上麻衣子さん。インテリアデザイナーの両親も、仕事の関係でスウェーデンや都心を拠点に生活していたため、30年ほど手つかずの状態だったそう。「実家じまい」で感じたことを伺いました。(全4回中の4回) 【画像】「仲が良いですね」インテリアデザイナーのご両親と川上麻衣子さんの3ショットなど(全14枚)
■「不用品は残したままで」のひと言に売却を決断 ── 売却以前、ご実家はどのような状態だったのですか? 川上さん:私が17歳で家を出てからは、両親も都心やスウェーデンを生活拠点としていたため、30年くらいは倉庫状態になっていました。毎年、お正月になると「あの家、どうする?」と話題に出てはいましたが、なかなか着手できず…。両親の書籍や資料、作品など、膨大なものが家中にあふれていて、それらを処分しなければいけないということを考えるだけでも億劫になるほどでした。
── どのようなきっかけで、実家じまいを決断されたのですか? 川上さん:母がもらった不動産のチラシがきっかけでした。父は「いつか町田の家に戻りたい」と考えていたようですが、水回りなどの老朽化した設備をすべて直さなければいけませんし、駅からも離れているため、高齢の両親が暮らすのは難しいかなと思っていました。私自身も町田に戻ることは考えておらず…。そんな時に、たまたま母がもらってきた不動産会社のチラシを見て、「どのくらいの値段になるのかな」という興味から、家を査定してもらうことになったんです。
売却を決断した決め手は、「不用品はそのまま置いていってもらえたら、こちらで処分します」という担当者からのひと言。ゴミを焼却する費用は売値から差し引かれますが、「自分たちでやるよりは楽だろう」ということに。90歳を過ぎている父も、「私と母に任せる」と納得してもらい、「実家じまい」がスタートしました。
■専門家の協力で「価値あるもの」を救済できた ── 膨大なものの中から「残すもの」を選別するのは大変だったのでは?