第一期のマジンガーZには200万円の値段…3000体以上集めた超合金コレクターは「私にとっては骨董品の域…」
超合金? ウルトラ合金?
だが、超合金は強烈な人気を誇った。となれば、発売したポピー(当時)以外も指をくわえてみているわけにはいかない。 だが、一般には普通名詞と勘違いしている向きもあるが、「超合金」はポピー(当時)の、現在はバンダイが引き継いだ登録商標だ。 亜鉛ダイカスト合金を使った玩具に、他メーカーは「超合金」の名は使えない。 そこで出てきたのが「強合金」「ウルトラ合金」「重合金」といったブランド。 さらには「ダイカスト」といったそのままのブランド名もある。数多くのブランドが生まれ、淘汰されていった中で、こうした「超合金」以外のブランドに心くすぐられるマニアもいる。 もちろん、小材さんもそうしたブランドの合金玩具を収集しており、特に95年以降、玩具の生産現場が海外に移った現状の中、「それ以前のメイド・イン・ジャパンの玩具は文化遺産だと思っている」と話す。
おばあちゃんのデッドストック
1969年生まれの小材さんが超合金を集め始めたのは20歳ごろ。時は昭和から平成に移り変わっていた頃だ。 「それ以前は、ガンプラなどプラモデルに熱中していたんです」 それがなぜ、超合金に? 「当時、埼玉県の鶴ヶ島市 に古い模型屋さんがありまして。そこで見つけた超合金を手に取ってみて、プラモデルに比べると、ずっしりと来る重さで、その魅力を再認識したんです」 それがきっかけで、この模型店に通うようになり、店主のおばあさんとも親しくなった。あるとき、模型店の倉庫の掃除をすることになり、埃だらけの倉庫に入ると…。 「出てくるわ出てくるわ、箱も美品のままの超合金の『マジンガーZ』などお宝がたくさん。『おばあちゃん、すごいよ』というと、掃除をしたお礼からか、『いいよ、持って行って』と言われて。コレクター人生の始まりでした」 まだこうしたかつての超合金がヴィンテージものと認識される夜明け前だったという。
3,000体以上…
子育て期間中に、収集の空白期間はあったものの、30代以降は、超合金を扱ったテレビ番組に出たり、「開運! なんでも鑑定団」にしばしば登場するなど、「超合金鑑定士」としての活動が広く知れ渡ってきた。 埼玉県富士見市 には3,000体超の超合金などがガラスケース内に所狭しと並ぶ「コレクションルーム」を設置。ルーム内では、自身が集めてきた超合金に囲まれ、至福の時を過ごしている。 「発売当時のST基準をすり抜けたとがった部品なんかも含め、本当に芸術品的な魅力がある」という小材さん。 「超合金」のブランドを継いでいるバンダイにも、資料提供などの協力を行いながら、収集家・鑑定士として、今後も超合金に深く携わっていく。 *** 記事【「超合金」50周年 マジンガーZからドラえもんまで…バンダイの担当者が明かす“知られざる歴史”】では、超合金のこれまでの歩みについて詳しく紹介している。
デイリー新潮編集部
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