論敵、上田秋成ら焦点 本居記念館で企画展 宣長応酬の手紙など89点 三重・松阪
三重県松阪市殿町の本居宣長記念館は現在、本居宣長(1730~1801年)と議論を交わした「雨月物語」の作者・上田秋成(1734~1809年)など周辺の人から見た宣長を知る企画展「宣長とあわなかった人々」を開催している。3月2日まで。 宣長は医業に携わりながら、日本最古の歴史書「古事記」の研究をし、35年かけて「古事記伝」を執筆するなど生涯にわたって学問に励んだ人物。 多くの門人を抱え交流した宣長だが、中には意見が合わなかった人も。上田秋成は論敵のような存在で、古代国語学や日の神論を巡って手紙を介して議論を交わした。特に、日の神論に関して、京都の漢学者・藤貞幹(とうていかん)が、初代天皇とされる神武天皇が中国・呉の縁者とするなど、中国文化を中心とした日本を論じた「衝口発(しょうこうはつ)」が発端となった。宣長がそれに反論するために書いた「鉗狂人(けんきょうじん)」に対し、秋成が反論。古事記の考えを軸に論じる宣長に対し、秋成は「日の神が四海万国を照らすというが、世界地図を見るに日本はほんの小国なのに、そこに日月があるなどおかしいではないか」などと手紙で応酬した。 一方、宣長が「古事記伝」を出版する時にその版木を彫った名古屋の版木職人・植松有信(1758~1813年)は、1789(寛政元)年に入門。1801(享和元)年に宣長危篤の知らせを聞いて駆け付けるも間に合わず、山室町の奥墓に8日間こもりその死を悼んだ。 会場には、宣長自身が秋成との手紙のやりとりをまとめた「呵刈葭(かかいか)」や、有信の招きで名古屋に泊まったことを書いた「寛政四年名古屋日記」など、国重要文化財を含む89点が並ぶ。 開場は午前9時~午後5時、月曜休館。18日と2月15日午前11時からは学芸員による展示説明会を開く。 入館料は大人400円、大学生300円、小学4年~高校生200円。 問い合わせは同館TEL0598(21)0312まで。