【怒髪天・増子直純 連載】兄貴分から"ため"になるお言葉を頂戴する対談コラム。ゲスト:木村充揮
怒髪天・増子直純が、人生の兄貴分・先輩方に教えを乞い、ためになるお言葉を頂戴する『音楽と人』の連載「後輩ノススメ!~オセー・テ・パイセン♥~」。その〈補講編〉として、誌面に収まりきらなかったパイセン方のありがたいお話をWebにて公開していきます。 第10回のゲストは、今年ソロ活動30周年、来年にはデビュー50周年を迎えるブルースマン、木村充揮。怒髪天に多大な影響を与えたバンド・憂歌団のリードヴォーカルであり、古希を迎えてもなお精力に全国各地のライヴハウスを旅し続ける大先輩が語る、表現の在り方、そして生き方のヒントとは?
ほんま好きなようにやったらいい
増子「木村さん、全然変わらないからなぁ」 ーー出会った頃から。 増子「初めてお会いしたのは、10年以上も前だけど、もう全然変わらないの。めちゃくちゃ元気ですよね? 古希とは思えない」 木村「人のことよう言うわ。アホみたいにウワーってやるくせに(笑)」 増子「あははは。いや、俺も元気ですけど。ただ憂歌団はデビューしたのが早いからね。アルバムのジャケット見た時はかなりおじさんだと思ってたけど(笑)、当時まだ20代ですもんね」 木村「レコードデビューは21でしたかね」 ーーということは、来年デビュー50年。 増子「ほんとに好きで、憂歌団みたいになりたいって思ったから。友康(上原子友康/怒髪天・ギター)もセミアコ買って、一時期ブルースっぽいことも怒髪天でやったりしてたけど、やっていけばやっていくほど、〈もう憂歌団がいるから同じことやってもしょうがねえな〉ってなってくるし、超えられもしない。だからだんだん自分たちらしくやるようになってね。黒人のブルースとかいろんなものを聴いてきたけど、やっぱ憂歌団の場合、言葉がわかるから、余計に入ってくるというか」 ーー日本で生まれ育って、そこで生きてる人の言葉だからこそ。 増子「そう。生活に根付いた音楽というかね。本来のブルースのあり方をちゃんと日本で確立させたと思うのよ。しかもいろんな噂というかエピソードもあってさ。例えば、最寄り駅のパチンコ屋の前にいつも木村さんのチャリンコが停まってて、〈あ、今日いるんだな〉みたいな(笑)。そういう感じとかもすごい憧れたよね」 木村「パチンコ屋にいる常連さんに『兄ちゃん、仕事やってる?』『いや、ぼちぼちやってます』言うたら『でも兄ちゃん、いつもおるなぁ』言われてな。〈あんたも一緒やんか〉とか思うんやけど(笑)」 増子「あはははは!」 ーー木村さんが音楽を始めたきっかけは、そもそもなんだったんでしょうか? 木村「僕はいろんなレコード聴いとったんやけど、高校の時にギターのヤツが、ブルースや、BB.KINGやとかや言うてて」 ーーギターのヤツ、つまり内田勘太郎さんですね。 木村「ただ僕はちょっとだけギター下手やから、最初はスリーコードで一緒に遊ぼうや、いうのが始まりですわ。で、耳で聴いたまま、わけのわからん英語の歌ばっかり唄うてたんやけど、ある時ちょこっと日本語に変えて唄ったりしたら、できるだけ日本語でやらへんか?てなって。それからですわ。怒髪天も、演歌ロックとか言うてて、〈おもろいなぁ〉思て」 ーーただ、とくにロックの世界で言われてることですけど、メロディと日本語の相性がよくない、みたいなことを言う人もいるじゃないですか。たぶんブルースにもそういうところがあるような気がするのですが。 木村「それもようわかります。でも、そこで英語のように唄おう思うんじゃなく、日本語をどういう気持ちで気分よく唄うか。ロックでもよくあるけど、英語のように唄って何言ってるかわからへんっていう。だけど思うんですわ。やっぱ言葉がはっきり聴こえてくることが大事」 増子「いや、ほんとにそう思いますよ」 木村「やったら日本語で唄うのが自然なんですよ。でも今度、意味がわかるから逆に恥ずかしいっていうのもあるんですわ。日本語で表現する、恥ずかしさと嬉しさがあんねん。でも、恥ずかしいのを超えて好きにやろうか、いうた時に表現っていうもんがあるんちゃうかなって。嘘も表現って」 ーー噓も方便ですね。 木村「はい、ありがとう!」 増子「あははは。木村さん、ちょいちょいこういうの挟んでくるから(笑)」 木村「ちゃんと拾ってな(笑)」 ーーはい、頑張ります(笑)。 木村「まあ日本でやるんやったら、わからん英語で唄うことなく、日本語で唄ったらよろしいやん。それがその人の表現やと思いますよ」 増子「何語でも、いいものはいいんですけど、やっぱり〈自分の言葉〉で唄わないと、伝わるものも伝わらない」 木村「そうそう。もちろん英語でもええねんけど、例えば、ボブ・マーリーが好きで、ボブ・マーリーになりたい思ても、自分にならなあかんやん。なんぼ上手かっても自分は自分にしかなられへんから」 ーーカッコいいと思って憧れたとしても、その人には絶対なれないし、模倣ではダメだというか。 木村「うん。だから美味しいのを食べて、出すのは自分のウンコやから、ええウンコしいや!っていうことですよ」 増子「そういうこと!」 木村「便秘もあれば下痢もあんねんけどね(笑)」 ーーはい(笑)。還暦であったり、古希であったり、代が変わるタイミングで気持ちの変化などはありましたか? 木村「そうやな、年齢の数字がなかったら、人は何を思うかな?と思っててな。数字って目安になるけど、ええことも悪いこともありますやんか。〈身体が悪いの歳のせいか?〉ってなってしまったり。でもみんな個性ありますやんか」 ーー同じ年齢でも、人それぞれ体力とか健康状態は違うわけですしね。 増子「そう、やっぱり個体差なんだよね。不摂生してて早く死んじゃうヤツもいれば、長生きするヤツもいるし、すごく節制してても、病気になるヤツはなるし」 木村「ほんま、ほんま。僕よりひとつ上の有山じゅんじが、50前に〈50なんかクソくらえ〉って、ボブ・ディランの〈風に吹かれて〉のメロディで唄いよって(有山じゅんじ「50歳」)。でも〈50からが始まりや!〉って、最後はそっちに持っていきよったんですよ。だから還暦、古希になって思うのは、そういう気持ちですわ」 ーー60、70になって、ここから始まりだと。 木村「だから気持ち次第ですわ。あんまり無理したらあかんけどな。身体も疲れすぎたら休めたらなあかんでしょ? ただ使えへんかったら退化していくからね(笑)。だからラジオ体操とか、あれすごくええんやろうな思て(笑)。散歩もええしね」 ーー木村さんは、体力維持のために何かされてるんですか? 木村「全然。別に自分で体力があるとも思てないけど、歌には不思議な力いうのがあるというか。やっぱりライヴの力、お客さんの力なんかな。しんどくても、ポンと唄いよったらまた勝手に元気出てくる。やっぱ無茶ばっかりしてたらあかんけど、でも明日があるってセーブばっかりしててもおもんない。昔、どこぞの親父に『お前、やりすぎや』って言われた時、『何が悪いねん』『8分目ぐらいに抑えとけ』『なんでやねん!』言うてな。『全部出したら次でけへんやん』言うから『その考え方おかしいんちゃうか』って言い返したった」 増子「まさに。ステージでいかに出し切るかっていうのは大事ですよね」 ーーおふた方とも歌を唄われているので、自分の身体が商売道具じゃないですか。なので、いかに自分をケアしていくかということが重要になっていくかと思うのですが、そのあたりはいかがでしょう? 増子「それはぜひ聞きたいですね。でもそんな節制してる感じは……」 木村「ないない」 増子「ですよね!(笑)」 木村「酒と煙草で消毒してまんねん(笑)」 ーー怒髪天にも、〈緊急事態だ!アルコール消毒だ〉という歌がありますよね(註:「ポポポ!」/アルバム『ヘヴィ・メンタル・アティテュード』収録)。 木村「それこそコロナが流行ってる時に『煙草吸ってるヤツはかかりにくい』言うてたヤツがおったやん。でも、それ一理あるかもしらんすわ。結局ワクチンかて、毒をちょっと入れて免疫つけることやから、ニコチンを入れることよって免疫はつくかもしれんっていう、そういう考え方もあるよな」 増子「だから、やっぱり個体差なんだよね。誰かにとっての健康法が全員に合うとは限らないし」 木村「ほんまにな。だから、しんどいなって時は身体がイエローカードを出して、『大事にしてや』と言うとるんよ。それをあんまり邪険にしたら怒りよるから。身体も自分の頭もいじめてばっかりしてたらあかん」 ーー例えば、身体や心が黄色信号を出してるのに、〈いや、でも自分のスタイルはこれだから!〉と、その信号を無視しちゃったら。 木村「『ええわい!』って、身体が怒る(笑)。昔、酒をよう呑む人がおってな。肝臓もだいぶイカれてるやろな思てたんやけど、『身体、大丈夫ですか?』言うたら、『最近大丈夫。仲良うしてるから』って。そのひと言に〈おっ!〉と思ってな。だから、お酒も煙草も仲良くしながらやったらええねん。ほんまにしんどかったら吞まれへんし、回復しようと思ったら寝て、食べやなできません」 ーー自分が無理だったら、ほんとにそこで身体が信号を出すっていうことなんですね。そうじゃなければ、明日にためにと、変にセーブする必要はない。 木村「はい。ほんま好きなようにやったらいい」 増子「楽しく、好きにやる」 木村「うん。ほんまそれがええんよ」 増子「木村さんは、いつお会いしても元気だし、ポジティヴなんだよなぁ。いやぁほんと、いい話を聞かせていただきました!」
平林道子(音楽と人)