甘納豆に革新を。京都の老舗和菓子屋4代目が種菓子SHUKAを生み出した理由:近藤健史
9月25日に発売された「Forbes JAPAN 2024年11月号」では、文化と経済活動を両立させ、新たな価値を生み出そうとする「カルチャープレナー」を総力特集。文化やクリエイティブ領域の活動で新しいビジネスを展開し、豊かな世界を実現しようとする文化起業家を30組選出し、その事業について紹介する。 「カルチャープレナー30」特設ウェブサイト 今回、そのカルチャープレナーの一組に選ばれた、京・甘納豆処 斗六屋4代目であり、SHUKA代表の近藤健史。 京都で98年続く甘納豆の老舗の4代目が大胆なリブランディングを敢行し、和菓子離れが進む現代に投じた菓子の新ジャンルはどんな思いで誕生したのか。 「種を愉しむ」をコンセプトに、自然由来の種を厳選し、甘納豆と同じ古来の食品保存技術・砂糖漬けでつくられた種の菓子「SHUKA」。新しい菓子として世界に広めるべく、あえて甘納豆という言葉は打ち出していない。「甘納豆という名前そのものよりも、自然や素材を尊重する日本の価値観を後世に残したいと考えています」。 家業は、1926年に京都で曽祖母が創業した斗六屋だ。4代目の近藤健史は、甘納豆になじみのない人も食べやすいようにと、通常よりも甘さが控えめで独特な歯ごたえのあるSHUKAを生み出した。一番人気はチョコレートの原料となるカカオ豆をココナッツシュガーで砂糖漬けしたSHUKAカカオ。製造過程でできるシロップと地元の豆乳でつくられた植物性のジェラートも好評だ。 ブランド誕生のきっかけは2018年に斗六屋として海外市場に挑戦した時のこと。2年に1度イタリアで開かれるスローフードの世界大会「Terra Madre Salone del Gusto」に甘納豆を出展すると「素晴らしい日本文化だけど、私の国では甘い豆は食べない」と言われた。この経験から甘納豆を世界に通用する菓子にしたいと構想から2年、通常の豆とは異なる硬さや風味の課題を乗り越え、22年10月に商品化にこぎつけた。24年9月末、今度はSHUKAとして世界大会で再挑戦する。 小学生のころから工房の隣で暮らしていた近藤だが、和菓子屋の多い京都でBtoB販売が主で、家で甘納豆を食べた記憶はほぼなく、家業を意識せずに育った。中学2年のとき、友人に言われた一言で心に傷を負った。「甘い納豆なんて気持ち悪い」。以来甘納豆屋であることを恥じるようになり家業から気持ちは遠のいた。大学では生物好きが高じてバイオテクノロジーを学び、大学院では微生物の研究に没頭。就職活動で幅広い業界を知るなかで、家業にも自然と目が向いた。 転機となったのは、13年2月。斗六屋が近所の壬生寺で開かれる節分祭に出店する際に初めて手伝うことに。3日間で約3000人が買い求め、毎年の一般販売を楽しみにする顧客とも出会った。「初めてお菓子屋っていい商売やなと思いました。 同時に甘納豆の対価で好きな研究がやれていたことに気づき、恩返しをしたいと考えました」。すぐ先代の叔父に「継がせてほしい」と伝えたが、本気だとは思われなかった。滋賀で創業した老舗菓子屋たねやで販売のアルバイトを始め、卒業後に就職し、商いの基本を学んだ。斗六屋に入社して甘納豆づくりにかかわると、学生時代の研究経験が役立った。「豆を煮るくらい簡単だと思いましたが、いざやってみると皮が硬くて食べられたもんじゃなかった」。感覚と経験でつくる叔父の製造過程を観察し、豆を煮る時間や砂糖の量をデータ化。味と風合いの再現に成功するだけでなく、若い人にも食べてもらえるように豆を変えたり、砂糖の量を調整したり、独自の探究心も奏功した。そんな近藤には大きな夢がある。 「大好きなイタリアに店を出すことが夢。世界の人たちに多様で豊かな種の世界を愉しんでもらい、種の価値を伝えていく。自然由来の個性を生かし、その恵みに手を添えるという姿勢で作られたSHUKAの種菓子を通じて、自然と人が調和した美しい世界を伝え残していきたい」 近藤健史◎1990年、京都市生まれ。京都大学大学院で微生物を研究後、滋賀の老舗菓子店たねやに就職。2016年に斗六屋に入社し、22年10月、「種を愉しむ」をテーマに種の菓子ブランド「SHUKA」を開始。
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