『魂斗羅』から『王者栄耀』まで 日本であまり知られない中国ゲームの今昔を、中国ゲーム研究者に聞いた
z読者の皆さんは中国のゲーム文化についてどれくらいご存知だろうか。『原神』『荒野行動』など、今や日本でも中国のゲームは広く親しまれている。しかし、中国国内におけるゲーム文化──例えば、中国人ゲーマーがどんなゲームを遊んできたのかといった事情は、実はあまり知られていない。 『日中韓のゲーム文化論ーなぜ、いま〈東アジア・ゲーム批評〉なのか』画像・動画ギャラリー 3月5日、「日中韓のゲーム文化論ーなぜ、いま〈東アジア・ゲーム批評〉なのか」という本が発売された。日本、そして中国・韓国のゲーム文化に基づく論集だ。今回、世界のインディーゲーム文化を学ぶIndie Intelligence Network編集部は、中国ゲーム文化について当事者の意見を聞くべく、本書の寄稿者である中川大地氏の仲介で、共同編者の鄧剣氏、楊駿驍氏へのインタビューを行った。 本インタビューでは2人の中国人ゲーム研究者の口から、中国のゲーム文化はどのように成立、発展を遂げたのか、現代における中国ゲーム文化の流行や苦悩とは何か、そして今後の中国ゲーム文化はどう発展していくのかなど、これまで明らかにされなかった中国ゲーム文化の本質が明るみになった。 なお本企画は東京大学教授である吉田寛氏、ならびに東京大学の協力のもと行われた。この場をお借りして感謝申し上げたい。 本企画は『NEEDY GIRL OVERDOSE』『Touhou Luna Nights』などを手がけたインディーゲームレーベル「WSS playground」代表の斉藤大地が、noteで2000人の購読者を集めたゲーム批評媒体「ゲームゼミ」主筆のJiniと共に、インディーゲーム制作に役立つ知見=Intelligenceを獲得するべく100%自腹で世界各地を取材して回る、次世代のゲームジャーナリズム「Indie Intelligence Network」の一部です。 聞き手/斉藤 大地、Jini 写真/伊豫田 旭彦 ■「学習機」から「ネカフェ」へ 中国ゲーム研究者のゲーム遍歴と中国ゲーム史 ──まず簡単に自己紹介をお願いします。 中川 大地氏:(以下、中川氏と表記) 中川大地と言います。「PLANETS」という批評誌ユニットで、長年ゲームやアニメをはじめとする日本のポップカルチャーと社会や文化との関係性についての批評を行ってきました。2016年には主に日本とアメリカでのゲームの相互発展史から現代文明を分析した歴史評論「現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から」を執筆しています。最近は日中エンターテインメント経済推進協議会という研究会の委員もしていて、今日はその立場からも中国のゲーム文化の肌感覚的なところについて、お二人にじっくりお話しをうかがいたいです。 (以降、中川氏には我々編集部と同じく質問を2人に投げる立場に立っていただいた) 鄧 剣氏:(以下、鄧氏) 鄧剣です。2014年からゲーム研究を始め、2015年から1年日本に留学しました。最近では、蘇州大学で若い中国ゲーム研究者に対する指導も行いながら、日本のゲーム研究や批評も翻訳しています。 楊 駿驍氏:(以下、楊氏) 楊駿驍です。私は特にゲームの研究者というわけではなく、中国における若者の文化や、感性を形作る構造について捉えるという視点から、ゲームを含め映画、小説など様々な文化を研究しています。 ──「日中韓のゲーム文化論」という本をなぜ制作するに至ったのか、教えて下さい。 中川氏: 経緯が少々ややこしいのですが、実はきっかけとなったのが、今こうしてインタビューをしていただいている、電ファミニコゲーマーなんです。 最初にお話ししたように、僕の主著である「現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から」が2016年に刊行されているのですが、この発売に際して、電ファミニコゲーマーに日本におけるゲーム批評の歴史を総括するインタビューが電ファミニコゲーマーに掲載されました。 その後、日本に留学していた鄧さんがこのインタビューを読んでいて、日本の主要なゲーム評論を中国に紹介するアンソロジー(論考集)「探寻游戏王国里的宝藏――日本游戏批评文选」に収録してくれたんですね(※①)。で、さらにこの「探寻游戏王国里的宝藏」をベースに、中国および韓国の研究者たちによる論文を追加収録して日本語に翻訳したというのが、今年発売された「日中韓のゲーム文化論」の成り立ちになります。 鄧氏: そもそも私がなぜゲーム研究を始め、「探寻游戏王国里的宝藏――日本游戏批评文选」を執筆したのかという話なのですが、そもそも2010年代当時、中国におけるゲーム研究はあまり盛んでなく、資料や研究も少なかった。 そこで参考にしたのが、日本のゲーム研究やゲーム批評です。当初から、日本では日本独自のゲーム研究やゲーム批評が、欧米のそれと異なる形で行われていました。私は2015年から1年間、早稲田大学に留学していたのですが、その時に中川大地さんや東京大学の吉田寛さんに会う中で、それらを学ぶことができた。 そうして学んだ日本のゲーム研究を中国に輸入しようと思い、執筆したのが「探寻游戏王国里的宝藏――日本游戏批评文选」でした。 ──中川さんはご自身でもゲーム批評を書かれるなどのゲーマーですが、鄧さんと楊さんもゲーム研究に携わる上で、ゲームを遊ばれていた経験がありますか? 鄧氏: ええ、もう小学生の時からずっとゲームが好きでした。 当時の中国には「小覇王学習機」(※②)と呼ばれる非公式に作られたファミリーコンピュータがあって、男子は皆それで遊んでいました。中でも人気だったのが『スーパーマリオブラザーズ』『ティーンエージ ミュータントニンジャ タートルズ』、そして『魂斗羅』ですね。 楊氏: 私も同じく「小覇王学習機」で『魂斗羅』を遊んでいましたが、人気でしたよ。当時の中国の子どもで『魂斗羅』を遊んでいない子はほとんどいないでしょうね。 日本のコナミの『魂斗羅』と中国の煙山会社の『超级魂』(super contra) ──中学以降はどうでしたか? 鄧氏: 中学生になってからは『StarCraft』や『Counter-Strike』、あるいは『The Legend of Mir 2』のようなオンラインゲームをよくネットカフェで遊んでいました。当時のインターネットは通信費がとても高かったので、クラスメイトでよくネットカフェに行って遊ぶことがありましたね。家に帰って一人で遊ぶものなら『信長の野望』『太閤立志伝』のようなコーエーの作品もよく遊びました。 高校生以降はMMORPGに加え、「Dota」、また『ハースストーン』などの対戦ゲームもプレイしましたね。 楊氏: 私の場合は親戚の家にPlayStationがあり、そこで『バイオハザード』や『メタルギアソリッド』を遊んだ記憶があります。以降は鄧さんと同じく、ネットカフェでオンラインゲームをプレイしたり。 2003年に日本に渡ってからは自費でPlayStation 2などのコンソールを買って『鬼武者』のような日本のゲームから、『アサシンクリード』や『コール・オブ・デューティ』などの海外ゲーム、最近だと『バルダーズ・ゲート3』にもハマりましたね。 ──中国には正規品のPlayStationが売られていたのですか? 楊氏: いえ、このプレステは元々日本で輸入したものでした。 これは、私のいた中国東北部であったことなのですが、90年代に国営の工場で大規模なリストラがあったんです。ただ国営ですから、リストラの際に多額の退職金が支払われます。その結果、リストラされた人たちが退職金を元手に海外に挑戦する家庭が多かったんです。そのうち、たまたま私の親戚が日本に働きに行って故郷に戻ってきたときに、手土産に持って帰って来たのが日本のPlayStationだったんです。 ──三浦哲郎の『盆土産』みたいなノリでプレステを 鄧氏: その他には、中国ではPlayStationを遊べる「ゲームセンター」もありました。当時、北京や上海のような都市部で「ゲームセンター」といえば、日本と同じくアーケード筐体が置いてあるゲームセンターを意味していましたが、それ以外の農村部ではPlayStationなどのコンソールハードと海賊版のソフトがそのまま置いてあるだけの小さな個人経営の店を「ゲームセンター」と呼んでおり、当時の子どもたちはそこで日本のゲームを遊んでいました。 ──ファミコンにしてもプレステにしても、やはり中国で正規版を手に入れることは難しかったのですね。 鄧氏: そうですね、そもそも中国には正規版がほぼ流通していなかったので、買うには日本など外国で買うしかないという状況でした。ただ、どうしてそうなったかというと、中国国内におけるゲームに対する嫌悪感が一因だと考えられています。 1990年代当時から、中国は一貫して学歴社会です。なので親としては1時間でも勉強してほしいし、逆にゲームなんて勉強の邪魔でしかなく、ひいては子どもの将来に悪影響しかもたらさないと考えます。だから仮に正規品が販売されたとして、それを買ってくれる親はほとんどいません。 そこで中国で流行ったのが、「小覇王学習機」という海賊版のファミコン互換機。これは「学習機」という名の通り、キーボードやマウスが付属するホビーパソコンで、ジャッキー・チェンが「これでパソコンを学び、デジタル社会に適応しよう!」というCMが有名でした。子どもは「勉強のため」という建前で、親に「小覇王学習機」を買ってもらい、こっそりとゲームをしていたわけです。 つまり、海賊版のゲーム機は、ゲームを嫌悪する親や社会に対するカモフラージュだった。 ──海賊版が偽装にもなっていたのは興味深いです。しかし、どうして中国でそこまでゲームが嫌われるのでしょう?日本でも初期は否定的な見方が多かったのですが、時代を経るごとに印象も変わりました。特に、ファミコン世代が親になりはじめたことで、親子でゲームを楽しむ姿も珍しくありません。 楊氏: 確かに中国でも世代交代は進んでいます。しかし、ゲームに対する嫌悪感は近年、ますます強まっていると言えるでしょう。 何故なら、近年の中国では競争社会がますます加速しているから。特に中国では2000年代以降に格差が広がったことで、より一層、親たちは自分の子どもをより良い大学に行かせたいと考えるようになりました。 その結果、親は子どもに対する教育を惜しみません。中国では夜11時に灯りがついているのは学校と塾ぐらいだ、と皮肉ることさえあります。これは中国全土にも見られる傾向であり、いくら親がゲームを遊んでいたからといって、子どもに勉強の邪魔になるようなものは与えられないのです。 ──しかし、現実的な問題として日本でも中国でも大企業に入れる子どもは一握りですよね。教育に投資できる富裕層の家庭はともかく、どの家庭でもそのプレッシャーは大きいのでしょうか。 楊氏: 仰る通りですが、それでも中国では貧困層から富裕層まで、田舎から都会まで、ほぼすべての家庭において親は子どもに立身出世を望んでいます。 それは何故か。まず、富裕層にとってみれば自分たちの財産や立場を維持するために子どもには出世させる必要があります。一方、貧困層にとっては、自分たちでも経済的に成功できる唯一の道が、勉学です。 そもそも中国の歴史上、受験戦争がなかった時代がありません。例えば、日本でも科挙制度は有名ですよね。勉学に励めばどんな身分の人間でも中央に登用されるというもので、隋の時代から1300年以上、多くの中国人は「受験勉強」に励んできました。 鄧氏: これをうまく風刺したインディーゲームが存在していて『Chinese Parents』という作品です。これは親の立場となって子どもを育てあげ試験に挑ませるという、中国の学歴社会を風刺した作品です。 楊氏: 面白いのが、後にこの作品が人民日報に「今の若者はこのゲームを遊び、親の苦労を学ぶべきだ」と、正面から称賛してしまう論評が掲載されたこと。つまり風刺が風刺にならないほど、中国は受験勉強や競争社会が根付いているということです。 ■中国ゲーム文化の現在 激化する競争社会と増加するゲーム受容の相関関係 ──ここまでで、お二人の研究と経歴を振り返りながら、20世紀から現在に至る中国のゲーム文化をおうかがいしました。 ここからは現在の中国におけるゲーム文化はどのようなものかお聞きしたいと思います。こちらで調べたところ、まず中国でいちばん売れているゲームが『王者栄耀』というMOBA(Multiplayer online battle arena)ですね。これはなぜでしょうか。 鄧氏: 『王者栄耀』の成功について話すには、まず、中国ゲーム文化の中心がネットカフェからスマホへシフトした歴史を語らなければいけません。 先ほど、私たちのゲーム遍歴の中でも話しましたが、昨今まで中国の一般家庭では日本のように高価なコンソールゲームや、自前のネット回線が必要なPCゲームは普及せず、その代わり、ネットカフェに行ってゲームを遊んでいました。中でも人気だったゲームが後に「MOBA」というジャンルで知られる、「Defence of the Ancients」いわゆる「Dota」です。 本作は同じくネットカフェで人気だったゲーム『Warcraft III』(の拡張版『The Frozen Throne』のMOD(カスタムマップ)で、当初は一部のコアなゲーマーが遊ぶものでしたが、特に2011年に中国テンセントが『League of Legends』(以下、LoL)のRiot Gamesを買収すると、中国の若者たちはこぞって『LoL』を筆頭にした「MOBA」を遊ぶようになりました。 しかし2010年代から、急速な経済発展に伴い、中国国内でスマートフォンが急速に普及するようになりました。これを見据え、テンセントは『LoL』をベースにスマートフォン向けのMOBA『王者栄耀』をリリース。若者たちのゲームハードがネットカフェからスマホに移行する過程で、『LoL』から『王者栄耀』へ人気が移った、というわけです。 ──なぜ『League of Legends』『王者栄耀』が現在まで人気を維持し続けられてきたのでしょう? 鄧氏: 個人的な考えですが、その背景にあるものは中国社会との連動だと思います。 まさに2000年代後半から2010年代前半は、中国経済が最も飛躍的な成長を成し遂げた時期であり、国際的には中国が豊かになった時期と考えられている。一方、中国人にとっては経済的豊かさと引き換えに、中国の競争社会や格差社会というものが一層激しくなった年代だとも考えられています。 『LoL』にしろ『王者栄耀』にしろ、MOBAは非常にストイックな競技ゲームです。プレイヤーは純粋に勝敗を競い、結果として「プラチナ」「ダイヤ」と銘打ったランクを目指します。実はこれこそ、当初の中国における「たくさん勉強し、受験で勝ち、より良い企業に入ろう」という競争社会の意識とリンクしている。いうならば、若者たちはゲームを通じて中国の競争社会に適応しているわけです。 ──なるほど。しかし、中国ではeスポーツも人気ですよね。特に『LoL』は世界大会「Worlds」で中国チームが何度も優勝しています。 鄧氏: そうです。この競争ゲームのヒエラルキーの頂点が、まさにeスポーツでありプロゲーマーたちですから。 事実、中国政府はeスポーツを「スポーツ」とするべく様々な政策をうっていますし、eスポーツのための学校や塾を設立もしています。それは、中国の国際社会における威信を打ち立てるものです。MOBAは中国社会を反映している、というのはeスポーツを取り巻く昨今の事情からも明らかではないかと。(※③) ──先ほどは中国社会でゲームは忌避されがちなもの、とお聞きしましたが、eスポーツなら例外ということなのでしょうか。 楊氏: まず一般的な家庭では、まだまだeスポーツに対する風当たりは強いです。少なくとも子どもが「プロゲーマーになりたい」と言って応援する親はほとんどいないでしょう。ただし、実際に世界で結果を出した中国人プロゲーマーが増えていくにつれ、その認識が変わりつつある。その象徴がXiaofeng “Sky” Li選手という『Warcraft III』のプロゲーマーです。 彼が出演しているドキュメンタリー『Beyond the Game』は、この変化を如実に表していると思います。最初、Skyの親が彼に対して「ずっとゲームばかりして」と何度も文句を言っている、しかし世界的なプレイヤーになった時「わが子はこんなにすごかったのか」と手のひらを反すように驚くんです。 ──つまり親や国のために役立つ範囲、つまりeスポーツなら許容できるけど、そうでなければ従来通り許容されないと。では、『王者栄耀』の次に人気なタイトルはなんでしょう。例えば、miHoYoの『原神』などは中国のみならず世界的に人気を博しています。 鄧氏: 『王者栄耀』以外のゲームは、トレンドによって大きく変化しています。放置系のようなゲームも流行っていますし、近年だと『恋とプロデューサー~EVOL×LOVE~』や『シャイニングニキ』のような女性向けタイトルも人気が高まっています。『原神』のようなmiHoYoの手がけるタイトルも人気ですが、どちらかといえば日本的なアニメや漫画を好む「オタク層」の支持が強く、幅広い層の中国人に親しまれる『王者栄耀』とは客層がやや異なる印象を受けています。 ──ああなるほど、日本でいえば『パズドラ』と『FGO』のような対照的関係ですね。 楊氏: そんな感じです。 ──ここまでお聞きしたのは、いわゆる「サービス型のゲーム」(GaaS)が中心でしたが、中国でも「買い切り型のゲーム」が流行りつつあると聞いています。こちらはどう思われますか? 鄧氏: そもそも、中国において、実はこの2つのゲームは全く異なる受容のされ方をしている、というのが私の見解です。 先ほど、私たちが話してきた『LoL』や『王者栄耀』のようなサービス型のゲームは、「買い切り型」のゲームと異なり、友達と一緒に遊んだり、仲良くなるためのツール、いわばソーシャルメディアのような使われ方をしています。事実、これらを運営するテンセントは「テンセントQQ」や「WeChat」のようなメッセンジャーツールの運営者という側面の方が、中国では強い。 一方、買い切り型のゲームを遊ぶ人たちは違います。任天堂のゲームや、steamのインディーゲームでも同じですが、それらの多くは誰かとではなく独りで、自分が楽しむために遊ぶものですよね。こういう人たちはコミュニケーションではなく、作品鑑賞のためにゲームを遊ぶ。 なので、同じ中国人ゲーマーでも、サービス型のゲームと買い切り型のゲームではまったく層が違うんです。もっとも、これは中国だけに限った話ではないと思いますが。 ──やはり買い切り型を楽しむユーザーは少数派なのでしょうか? 鄧氏: いえ、『王者栄耀』が人気すぎるというだけで、少数派というほどでもありません。例えば、買い切り型を楽しむ子どもがクラスに2~3割いるとしたら、『王者栄耀』を遊んでいる子どもは10割という感じ。 ──(笑)。中国にはゲームを販売する際に、当局による「版号」(ライセンス)が必要だと聞いています。これが中国でサービス型のゲームが中心になった理由の一つだと聞いているのですが、いかがでしょうか? 鄧氏: その認識で合っています。ただ、この状況を変えたのが、Valveの「Steam」です。 従来の中国社会では、仰るようにゲームを販売するためには「版号」を得る必要がありました。そのため、無論、中国社会で「ふさわしくない」と判断されたものは販売できず、これが大きな壁となっていたのです。 しかし「Steam」が始まってから、その状況は大きく変わりました。「版号」を得ずとも、世界でゲームを売ることが可能になったためです。単に経済的な成功を見込めるだけでなく、表現に関しても自由にできるようになった。このSteamによって中国でも買い切り型ゲームを作ろうという気運が高まったのです。 ──Steamのおかげでインディーゲームが発達したのは有名ですが、中国ではそれ以上の意義があったんですね。ところで、中国の買い切りタイトルは「武侠」をテーマにした作品が多い印象ですが、この認識はあっていますか? 鄧氏: 大作についてはその通りです。インディータイトルについては『Paper Dolls: Original / 纸人』など、「武侠」に限らず、独自の世界観をもったアドベンチャーゲームなど多様なゲームがあります。 ただ「武侠」のようなモチーフを採用する理由は、現実的にはマーケット上の都合もあります。言わずもがな、ある程度予算をかけたゲームを作るうえで、中国14億人という市場は無視できません。そして、多くの中国人にとって「武侠」は幼少期からドラマや小説などで慣れ親しんだものです。 なので、中国人が親しみを持てる、買いたくなるゲームを作るうえで、必然的に「武侠」を扱う作品が増えるということですね。 ■中国人とゲームの未来 中国社会に対するオルタナティブとして ──ここまで中国ゲーム文化の過去から現在までお聞きしました。今や中国ゲームは中国国内を超え、日本や北米など国際的な評価を確立しています。この現状についてどう思いますか。 鄧氏: 中国社会としては、誇らしいことだと思います。中国政府もゲームの輸出は積極的に奨励していますし、実際中国のゲームが注目されるようになったことで、私たちゲーム研究者も評価され、地位も上がったように思います。 ただし、私個人としては、いかに中国のゲームが国内外で売れたからといっても、それだけで評価はしていません。 何故なら、今の「売れている」中国ゲームの多くは、あくまで今の中国社会の現状を受け入れ、マーケットとして利用した結果、成功した作品に他ならないからです。先ほど、我々は『LoL』や『王者栄耀』などのeスポーツ作品と中国競争社会の相関性を論じてきましたが、他にも放置系ゲームや疑似恋愛ゲームのヒットは、経済的に困窮し、無気力に陥っている中国の若者たちが漫然と楽しめるよう設計された作品です。 こうした作品は、確かに今の中国ゲーム文化の土壌を作り上げた点では評価するべきですが、一方で、中国社会の現状を再考し、別の可能性を模索するようなゲームもまた必要だと思うのです。 楊氏: 鄧さんのお話に付け加えると、『DARK SOULS』や『ELDEN RING』のような「ソウルライク」と呼ばれる高難易度アクションが2010年代に中国で大ヒットし、昨今では『Black Myth: Wukong』のような「ソウルライク」が中国人によって作られている背景にも、実は若者たちの心情を反映したものではないかと、私は考えています。 つまり、中国という厳しい競争社会をリアルに反映しつつ、その中で苦戦しながら、成功していくというメンタリティが、まさしく「ソウルライク」における困難と達成そのものなんですよ。競争社会で打ちのめされた若者には、疑似恋愛ゲームや放置系ゲームが消費され、逆に、競争社会で戦うために己を鼓舞したい若者には、eスポーツやソウルライクのようなゲームが支持されるというわけです。 だからこそ、私も鄧さんと同じく、こうした競争社会を単に逃避するでも、肯定するでもなく、オルタナティブな視点を持ちかけるようなゲームが好ましいと思います。 ──では、お二人にとって注目するべき中国ゲーム文化はどのようなものでしょうか。 鄧氏: 例えば、『紙装束』というホラー推理ゲームは、単に中国の世界観を用いているだけでなく、作中のインタラクティブにも中国ならではの占いや営みといったものが反映されています。 先ほど説明した通り『Chinese Parents』は現代中国における受験戦争を風刺していますし、『完璧な一日』という1999年の中国都市部を舞台にしたアドベンチャーゲームには、改革開放によって資本主義経済に転換した中国社会とどう向き合うかというテーマが籠められていました。 特に若いクリエイターの中には、意識的に社会に対して批評的であったり、別の理想的な社会を描くためのモデルとしてゲームに注目する者が増えています。今後はゲームが中国社会について考え、変えていく文芸の一つになりうるのではないか、そういう理想を私としては抱いています。 楊氏: 私は、ゲームが中国の競争社会における「サードプレイス」であってほしい、と願っています。 過去を振り返ると、私や鄧さんの世代において、受験戦争のために学校でも家庭でもプレッシャーをかけられ続ける日々で、ネットカフェが唯一そのプレッシャーから逃れられる場所、つまり「サードプレイス」でした。ゲームを遊ぶことで、物理的に競争から逃避することができたんですね。 ただし、あれから中国ではネットカフェは規制されはじめ、今や多くは残っていません。そこで辛うじて残ったのがインターネットです。オンラインゲームもそうですが、例えば「billibilli」のようなウェブサービスもその一つ。今の子どもたちにとってはネットこそが「サードプレイス」であり、そこで一緒にゲームを遊んだり、社会を皮肉ったりすることで、息抜きをしています。 つまり、私たち中国人にとってゲームやネット、こうした「遊び」こそが安寧を得られる数少ない「サードプレイス」であり、競争以外の生き方を学べる場所になっている。だからこそ、その中には鄧さんが話したような批評的な中国ゲーム、いうならば「社会はこうじゃなくてもいいんだよ」と子どもたちに伝えられるようなゲームがもっと出てきてほしいなと、私自身も思います。 ──ありがとうございました。 中国ゲーム文化を研究する2人の、忌憚のない議論に、思わずこちらまで熱くなり、インタビューは大いに白熱した。 取材中、我々編集部がもっとも驚いたのは、「ゲーム」という文化に対する2人の圧倒的な期待と希望であった。日本におけるビデオゲーム文化は戦後の好景気とともに発展し、今や子どもから大人にまで身近な娯楽として根付いている。 しかし、中国における「ゲーム」は我々のそれとは全く意味が違う。純正のゲームなど滅多に流通しない共産主義時代を経て、改革開放、そして競争社会の激化と、まさに時代の荒波の中で、当時の若者たちが唯一息を落ち着かせ、過酷な現実との距離を測り、そして自己や社会に対する考えを整理する娯楽なのだ。 既にゲーム文化においても国際的に成功を収めた中国だが、中国人当事者の鄧氏、楊氏両名はそれだけでは不十分だと指摘する。『Chinese Parents』や『完璧な一日』のように、競争や成功といった既定路線に対してどのようなオルタナティブを提示し続けられるのか。 そのようなことを考えさせられるインタビューだった。
電ファミニコゲーマー:Indie Intelligence Network
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