JICA田中理事長「開発協力、共創で革新的な事業を進める」 日本のODA70周年で抱負
政府開発援助(ODA)を現場で担う国際協力機構(JICA)の田中明彦理事長が4月16日、東京都内で記者会見を開き、今年(2024年)で日本のODA開始から70周年を迎えることについて「日本の開発協力は成熟期だが、さらに上向いていく」と期待を示した。そのうえで、今後のJICAの取り組みについて「多くのアクターと共創しつつ、革新的な事業を着実に進めていきたい」と述べた。(朝日新聞SDGs ACTION!編集長・竹山栄太郎)
「世界最大」の座は譲ったが……
経済協力開発機構(OECD)が4月11日に発表した2023年の各国のODA実績(暫定値)によると、日本のODAは196億84万ドル(2兆7540億円)で、米国、ドイツに次ぐ世界3位だった。 日本のODAは1954年に始まり、初期はビルマ(現ミャンマー)やベトナムなどへの戦後賠償としておこなわれた。過去のプロジェクトの例として、1960年代に始まったインドネシアのブランタス川流域の開発事業では、ダム建設や農地開発、電力供給などをおこない、地域発展につなげた。また、1970年代末からは、ブラジルで「セラード」とよばれるサバンナ地帯を農地に変えるプロジェクトも実施し、この事業を通じてブラジルは世界有数の大豆生産国になった。 1990年代にはODA額で世界トップが続き「ODA大国」と呼ばれたが、21世紀に入って順位を落としている。田中氏は「アメリカはODAを非常に増額しており、ドイツやイギリス、フランスも日本とほぼ同じぐらいの水準になってきているが、日本が大幅に少なくなったわけではない」と指摘。2023年のODA実績が過去最高だったとしたうえで、「額だけを見て日本のODAが成熟期に入ったと言っているわけではなく、質的にも相当大きく成長してきた」とも述べた。
「日本らしい援助」で質的成長
21世紀に入ってからのODAプロジェクトについて、田中氏は「とりわけ日本らしい援助、しかも日本だけでおこなうのではなくて、相手国政府や国際機関、NGO、企業も巻き込んで効果を上げるようなプロジェクトをおこなってきた」と評価した。 田中氏がその一例として挙げるのが、フィリピン・ミンダナオの和平プロセス支援のような「開発協力による平和構築」だ。ミンダナオ島では1970年代から紛争が続いたが、日本は対立関係にあったフィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線(MILF)の双方の地域で開発支援をおこない、2014年の包括和平合意の実現に寄与した。 別の例が、「普遍的通用力のある技術協力」。小規模農家の所得向上を図る「SHEP(Smallholder Horticulture Empowerment & Promotion)」は、農家の意識を「農作物を作って売る」から「売るために作る」に変えることをめざす技術協力プロジェクト。2006年にケニアから始まり、アフリカを中心に57カ国に広がっているという。 このほか、防災協力や母子手帳の導入、インドでの高速輸送システムの導入も日本特有の支援事例だと紹介。「日本の開発協力は、実際に効果のあるプロジェクトが現在進行形で進んでいて、開発途上国から高く評価されている」と述べた。