『モンスター』聖地巡礼に隠された闇 杉浦メイン回でSixTONES ジェシーが大活躍?
ファンダムの功罪と物語の持つ魔力
いわゆるファンダムの功罪が語られるのだが、ドラマを自然な形で楽しみ、ロケ地を訪れることで好きな役者と時間・場所を共有するという一般的な作品への向き合い方は、コンテンツが商品として制作されていることを考慮しても健全である。しかし、堀未央奈演じる里佳子の『君街』に対する姿勢は良くも悪くも大きく逸脱していた。 聖地巡礼が、仮想現実としてのフィクションを日常の延長上に見出す営みであるとすれば、里佳子の場合、フィクションのほうが現実を侵食していた。疲れきった里佳子が画面の向こうに見出した空間は安らぎに満ちており、現実以上にリアルなものだった。自分を肯定してくれる世界は心地良い。里佳子が異常であるというより、私たち誰もが一歩バランスを崩せば、里佳子と同じように容易に戻ってこれないところまでフィクションに耽溺する可能性がある。けれども、私たちが生きているのはあくまで現実の世界だ。『君街』のために自死を選んだ里佳子が死にきれなかったのは、その事実に気づいていたからではないか。 事故そのものがフィクションであり、杉浦は請求が成立しないと判断した。法律が現実の問題を扱う一方で、法で裁けない心の闇を『モンスター』はえぐり出した。第7話は私たちの心をとらえて離さない物語との付き合い方に再考を促すものだった。そんな中で『君街』を視聴する亮子のモチベーションが劇中の花のモチーフだったことは注目に値する。表層批評のような作品との向き合い方は、自由な精神が表現に対してできること、批評の果たす役割があることを伝えていた。
石河コウヘイ