中学時代にゆずのコピーバンドをしていた演歌第7世代 二見颯一さんの「やまびこボイス」のゆえんは?
将来の歌謡界を引っ張る20代歌手を中心にした「演歌第7世代」。アイドル並みの人気を誇りますが、その一人が二見颯一さん(25)です。民謡で日本一になったこともある実力派は、育った自然豊かな宮崎県国富町で独特のボイストレーニングで歌唱力を磨き上げました。 -出身は宮崎県国富町。自身がふるさと大使にもなっている故郷はどんなところですか。 ★二見 大好きな国富町なら、3時間でもしゃべれます。自然豊かで、神社仏閣が多くてパワースポット巡りもいいですよ。山に登って晴れた日は太平洋、さらには大分の方まで見えます。町内産のブルーベリーと竹炭を使った真っ黒なロールケーキはおすすめです。ほとんど森林で、町に入るには坂を上らなきゃなりません。高台にあるので災害時の避難所の役割も果たします。子育ても手厚く、最近は若い移住者も多いですね。 -歌を始めたきっかけは。 ★二見 2歳の時、町でカラオケ大会があって大泉逸郎さんの「孫」を歌いました。「孫が『孫』を歌っている」と近所の評判になったそうです。生後10カ月ぐらいで「いってらっしゃい」って言っていたようで、言葉を覚えるのが早かった子ですね。テレビで演歌が流れるとずっと見ていました。同じ九州の大先輩、氷川きよしさんの「箱根八里の半次郎」も自然と覚えていました。 -5歳のころから民謡のけいこ。スパルタだったとか。 ★二見 民謡の先生が厳しくて、重さ2キロの砂袋を持たされ歌いました。上半身に力が入ってしまうと、上ずって重さがない声になります。声が震えたら怒られるし、砂袋を落としても怒られます。背筋と足腰で歌えと言われました。まさに体育会系。でもそのおかげで中学のときに民謡の全国大会で優勝しました。感謝しています。中2からボイストレーニングもしました。教材が演歌で最初は三橋美智也さんの「哀愁列車」。田端義夫さんの「大利根月夜」とかも。中学時代が友人とバンドもしてました。ゆずさんのコピーバンドをして宮崎らしさを出そうとバンド名は「日向夏」。山々に向かって歌っていたこともありました。空気が乾いていたときはやまびこのように声が返ってきます。ただし、湿気があると返ってこない。練習を重ねると湿度の高い日でも戻ってきました。「やまびこボイス」と言われるゆえんでした。 -高校卒業後、上京。進学した日本大の学生のころに、日本クラウンの演歌・歌謡曲新人歌手オーディションでグランプリを獲得。20歳でデビューしました。大学との両立は大変だった。 ★二見 法学部で刑法の勉強をしました。少年法のゼミにもいました。歌を断念したら国富町の役場で働くつもりで、忙しかったけど勉強はしてましたね。 -「演歌第7世代」の一人。一緒にコンサートも開いています。 ★二見 メンバーは新浜レオンさん、辰巳ゆうとさん、青山新さん、彩青さん。本当に仲がいいです。新浜さんは“卒業”されましたが、食事とかで皆が集まればずっと演歌の話ですね。自分たちの世代がどう演歌の魅力を広めていくかって考えています。コンサートではお子さんから年配の方々まで幅広いです。特にお子さんは、これをきっかけに将来歌手を目指していただけたらうれしいですね。 -デビュー5周年を記念しリリースしたのがラブソングである最新作「罪の恋」。 ★二見 かなわないし、かなっちゃいけない恋を歌っています。大人の歌です。今までとは違う感じですね。記念曲で水森英夫先生(作曲家)からいただきました。 -6月14日には宮崎市民文化ホールでコンサート。家族の方々も喜ばれるでしょう。 ★二見 父を早くに亡くし、母や祖父母が農業で頑張って育ててくれ、大学まで出してくれましたからね。今は少しでも楽にさせたいと思っています。一生懸命自分を育ててくれた家族には感謝しています。母は子育てを終えたのもあって落ち着いたのでしょう。最近よく東京まで来てくれます。元気です。最強です。 (文・山上武雄、写真・佐藤雄太朗) ふたみ・そういち 1998年生まれ、宮崎県国富町出身。身長180センチ。本人いわく「大学時代に5センチ伸びた」。デビュー作は「哀愁峠」。趣味は書道、絵画、料理など幅広い。尊敬する歌手は三橋美智也。