萩本欽一、仕事に集中させてくれた亡き奥さんとの「たった一度のデート」秘話明かす
8月31日から放送された『24時間テレビ47』(日本テレビ系)で、同番組の初代総合司会を務めた萩本欽一さんと、4年前に他界した妻・澄子さんの秘話が描かれたスペシャルドラマ『欽ちゃんのスミちゃん~萩本欽一を愛した女性~』が放送されました。 ドラマが始まる前、萩本さんと3人の息子さんが話すVTRがあり、長男が「お母さんのことをお父さんだと思ってた。寂しいかもしれないけど」と、子供の頃の素直な気持ちを萩本さんに打ち明けていました。仕事が忙しかった萩本さんが、当時家庭にほとんど帰っていなかったことをうかがわせる一言です。 筆者は以前、萩本さんに妻・澄子さんについてお話を伺っています。 「僕が思う理想の人生にピッタリの奥さん。『仕事が好きなら、とことんやれ』っていう人なの。こんなに気持ちよく僕が仕事ができたのは、あの奥さん以外では不可能です。自慢の奥さんだね」 澄子さんとは、付き合っていたときも結婚してからも、デートをしたりどこかに行ったこともほとんどなかったと言います。 「でも俺が40代ぐらいのときに1回だけ、奥さんが車で買い物に行くっていうので、それまで言ったことなかったんだけど『一緒に行く』って乗ったの。それで、ただ買い物して帰るんじゃなくて、ちょっと畑のあたりを走っているときに俺が『畑の真ん中で止まって』って。それで車から降りて手をつないでさ。俺が『初めてのデート』って言ったら、奥さんがプッて吹いて。それから10分後には家についてた(笑)。それぐらいかな」 萩本さんは、家庭を顧みない夫と思われたくなかったため、はじめはどんなに忙しくても日曜日だけは休みを取るようにしていたそうです。 「そしたら、奥さんが僕が無理してやっているのが見えるし、そういう付き合いをすると子供がかわいそうだからやめたほうがいいって。『そんなことなら、好きな仕事を、思いっきりやったほうがいいよ』って。それで日曜日も仕事を入れるようにした」 澄子さんは萩本さんの仕事にとても協力的でした。 「テレビ局のスタッフに『テレビに出てください』と言われても絶対に出ないけど、俺が言ったら出るの。結婚してすぐのときの正月の生放送で盛り上がっちゃって、みんなが『電話しなよ』ってなって。俺も勢いで電話して『いまから来る?』って言ったら『はい』って番組のエンディングに子供を抱えて来たから。 奥さんは俺の舞台を、内緒で見に来るの。自分でチケットを買って見て、そっと帰る。でも、あるときマネージャーに見つかって『楽屋に行きましょう』と言われて来たの。『マネージャーさんに言われたから、そのまま帰るのも失礼なので顔出しただけだから、なんの用事もないから』って帰っていったよ(笑)」 2018年頃に、萩本さんは珍しく澄子さんと2人っきりになることがありました。 「奥さんに『この際だから聞くけど、欽ちゃんのどこが好きで一緒になったの?』って聞いたの。そしたら『好き?』ってすごく嫌な顔で言われて。それでしばらく考えて『好きはないね。ただずっとファンだった』って言ったの。なんかそれで全部が見えたような気がした。 どうも奥さんは、私のいちばんのファンとして、たくさんいるファンの人を邪魔したらいけないという人生を送った人なんだなと。ファンの代表として私を預かっているというスタンスなんです。 だから、旦那としての要求がゼロ。どんどん仕事をして、みんなに喜ばれて何も言わずにそっとしてあげることが、ファンの人たちのためになるんだなと思っていたんじゃないかな。奥さんがずっとファンだったと言うのは、私にとって幸せなことだったかもしれない」 萩本さんが家庭に帰ってこなくても、テレビで欽ちゃんが活躍していることが、いちばんの欽ちゃんファンである澄子さんにとって最高の幸せだったのかもしれませんね。 インタビューマン山下 1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。