【日本三大競漕の祭り】和歌山「熊野速玉大祭」・広島「ひがしの住吉祭」・沖縄「糸満ハーレー」:男たちの誇りをかけた水上の熱戦
広島「ひがしの住吉祭」
(大崎上島町、8月13日) 瀬戸内海の真ん中に浮かぶ大崎上島は、室町時代には備中守・小早川家が率いた水軍(海賊)「備中船手衆」の島で、「櫂伝馬(かいでんま)競漕」が伝統文化として継承されている。櫂伝馬は元々、本船と陸上の連絡・運搬に使う小船だったが、機動力が高いことから中世に瀬戸内海を掌握した水軍が用いた。 島の北東部・東野地区にあった海の守り神・住吉神社(現在は古社八幡神社に合祀)の祭礼では、1827(文政10)年から神輿を乗せた船を櫂伝馬が先導するようになり、江戸末期から速さを競い始める。海賊さながらの荒々しい争いを繰り広げていたが、昭和の半ばからはスポーツ色を強めていった。
現在は4地区の対抗戦で、ライバルを出し抜くために船の改良を繰り返している。船大工と研究を重ねた設計図は、各地区の極秘資料だ。漕ぎ方にもコツがあり、前傾しながら櫂を水面に対して垂直に入れ、一気に上半身をのけ反りながらかきあげる。体力と高度な技術を必要とするため、合同練習は長期間にわたるという。 祭りは4隻がコースの異なる4回戦で競い、総合得点の高い地区が優勝となる。それぞれ水夫(かこ)14人、音でペースを指示する太鼓打ち、大きな櫂で針路を取る船頭に加え、旗や櫂を振って士気を高める小学生が船首と船尾に乗り込む。 折り返し点ではインコースを奪い合うが、船体がぶつかれば互いに減速してしまうので、他の船に出し抜かれてしまう。装備や体力、技術、精神力に加え、戦略も重要になるのだ。 見物客は全員の動きが一つになることで、船が速く進むことに魅了される。小学5年生から出場できる「子ども櫂伝馬」から次世代の水夫が育つ。
沖縄「糸満ハーレー」
(糸満市、旧暦5月4日) 沖縄の伝統漁船による競漕「ハーリー(爬竜)」は、毎年主に旧暦の5月4日(2024年は6月9日)に離島も含めて20数大会が開かれる初夏の風物詩。本島最南端の糸満市では古い方言で「ハーレー」と呼び、600年の歴史を持つ行事として知られている。 起源には諸説あるが、琉球(りゅうきゅう)と呼ばれた1400年ごろ、糸満を拠点とした南山国の王が中国から持ち込んだというのが有名だ。留学先の南京で見物した爬竜船に感銘を受け、帰国後に造らせたという。 ハーレーは琉球王国時代(1429-1879)には国家行事となったが、沖縄県になった1879(明治12)年からは政府の宗教政策で禁止され、断絶の危機に。それでも島人は車輪を取り付けた船を走らせ、沖縄国際海洋博覧会(1975年)をきっかけに再興するまでの百年近く守り続けた。 糸満ハーレーは西村、中村、新島の3地区から計60チームが出場し、総合得点を争う。祭り当日の早朝には、3地区の代表者が丘の拝所に集まる。「ノロ」と呼ばれる神女と共に海の神に感謝し、豊かな世と大漁を祈る。 儀式の後、丘に揚がった旗を合図に糸満漁港で「御願(ウガン)バーレー」がスタート。漁協青年部が13人乗りの伝統的な木造漁船で競い合い、糸満ハーレーの幕開けを飾る。レース後は氏神様のお堂で、ハーレー唄や祝いの踊り「カチャーシー」を奉納する。 漁港では引き続き、青年の部、中学生の部、職場グループの対抗戦などを展開。名物「クンヌカセー」はレース中にわざと転覆させ、舟底を見せてから元に戻し、水をかき出して再び漕ぎ出すという珍しい競技だ。 最終競技「アガイスーブ」は精鋭がそろう最速のレースで、地区の名誉をかけたハイライト。港内を3周する計2150メートルのロングコースだが、3チームの技量は伯仲し、抜きつ抜かれつの大熱戦を展開。優勝した地区は総勢で踊り、笑顔で幕を閉じる。 ※祭りの日程は例年の予定日を表記した 写真=芳賀ライブラリー
【Profile】
芳賀 日向 国内外の祭りを追い続ける写真家。1956年生まれ。祭りや民俗芸能の写真と資料をアーカイブする「芳賀ライブラリー」代表。日本写真家協会会員、藝能学会会員、全日本郷土芸能協会会員。『週刊朝日百科 日本の祭り』(朝日新聞出版)シリーズ連載、『知れば知るほどおもしろい! 日本の祭り大図鑑』(PHP研究所)監修ほか著書多数。