テロリストと家族の直接交渉を容認へ オバマ政権が「方針転換」した背景
「テロリストを利するだけ」という批判
今回の方針転換は、身代金支払いを含め、あくまでも人質となった家族にテロリストとの交渉を容認したものですので、アメリカ政府がテロリストに譲歩しないという原則が変わったわけではありません。それでも今回の決定は大きな変化といえます。 今回のオバマ政権の方針転換については、被害者家族への同情論も多いのですが、非難も少なくありません。一言でいえば、「テロリストを利する」だけという批判です。テロリストにとっては、身代金は組織拡大のための欠かせない資金源です。身代金支払いを認めることはさらに誘拐に拍車がかかることを意味しています。テロリストが身代金を使ってさらに兵器をそろえ、勢力を拡大し、誘拐を続けるという“負の連鎖”が拡大再生産されていきます。 テロリストとしては、人質を取れば家族だけでなく、その向こうにいるアメリカ政府との交渉が可能になったことを意味しています。テロリストにとっては、アメリカ人の人質を使って、アメリカ政府を揺るがすことが簡単になったと見えるかもしれません。 「イスラム国」の人質問題は、日本と同じようにアメリカでも非常に大きな衝撃と不安を持って国民は受け止めています。「イスラム国」が人質に取り、殺害したアメリカ人はフォーリーさんとミュラーさんのほかにも最低2人は判明しています。フォーリーさんの事件は、残虐な殺害映像が繰り返し報じられたため、アメリカ国内では日本と同じように「イスラム国」が現実的な差し迫った脅威として認識されるようになりました。ちょうど、後藤健二さんと湯川遥菜さんの衝撃的な事件と同じ形です。今回の決定でさらなる脅威が増すことは、想像したくない事態です。
日本政府の方針への影響はあるのか
さて、今回の方針転換で日本のテロ対策に何らかの変化があるのでしょうか。あくまでも交渉を容認しただけなので、どんな影響があるのかは何とも分かりにくい部分です。菅義偉官房長官は6月25日の記者会見で「テロ組織に対し、いかなる譲歩もしないというアメリカの政策をあらためて確認している」と言い、身代金要求を拒否するという日本政府の対応に変化はないことを強調しています。 何よりも、次にテロリストの邦人誘拐が起こらないことを心から望みます。ただ残念ながら、テロリストにとって、日本は世界で最も豊かな金づるの一つに他なりません。もし、実際に邦人の誘拐事件が起こり、身代金が要求されたとき、今回のオバマ政権の方針変換で日本政府に対応に迷いが出るかもしれません。身代金支払いを主張する家族が「アメリカ政府は容認しているが、なぜ日本は無理なのか」と言ったとき、それを突っぱねることは難しくなったかもしれません。一方で、邦人誘拐という悪夢に備えて、専門特使の任命や人質となった家族への情報アクセス改善などは、日本も導入検討しても良いかもしれません。 (上智大学教授・前嶋和弘)
■前嶋和弘(まえしま・かずひろ) 上智大学総合グローバル学部教授。専門はアメリカ現代政治。上智大学外国語学部英語学科卒業後,ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA),メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(単著,北樹出版,2011年)、『オバマ後のアメリカ政治:2012年大統領選挙と分断された政治の行方』(共編著,東信堂,2014年)、『ネット選挙が変える政治と社会:日米韓における新たな「公共圏」の姿』(共編著,慶応義塾大学出版会,2013年)