『スクイズ』から『じいさんばあさん若返る』まで ラブコメアニメの“恋愛観”が多様化?
『School Days』主人公・伊藤誠も現代なら許された?
●“ポリアモリー”的な結末を迎えた作品も…… さらにアニメ化された範囲では描かれていないものの、原作マンガでポリアモリー的な結末を迎えたという例もある。たとえば、流石景による『ドメスティックな彼女』。義理の姉と妹との三角関係を題材としたラブストーリーだが、最後は3人がそれぞれに納得する形で意外な家族の形に辿りついている。 また筒井大志の『ぼくたちは勉強ができない』は、“マルチエンド形式”という斬新なやり方によって全ヒロインとの恋の成就を描いていた。 ほかにも女性同士の親密な関係性を描く百合のジャンルでは、ポリアモリー的な恋愛を描こうとする試みが盛んに行われている。たとえば缶乃は代表的な作家の1人で、『あの娘にキスと白百合を』や『合格のための! やさしい三角関係入門』といった作品において“幸せな三角関係”の表現に挑んでいることで有名だ。 なお、2011年から2016年にかけて『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載された『ニセコイ』では、複数人との交際の“一歩手前”までが描かれていた。主人公の一条楽が、2人のヒロインを同時に好きになっていることを認める展開があったのだ。ただ、結局はその後1人の相手を選ぶという王道の結末で終わっている。 こうしてまとめてみると、ひと昔前なら「ありえない」と一蹴されていた設定が時代と共に受け入れられるようになってきたような印象も受ける。その背景には、少なからず受け手の側の価値観の変化があるのかもしれない。 ●美少女ゲーム的な恋愛観からソシャゲ的な恋愛観へ? 1つの仮説だが、ラブコメの恋愛観が「美少女ゲーム的」なものから「ソシャゲ的」なものへと変わってきたという風にも考えられそうだ。 平成に一世を風靡した美少女ゲームは、数多くのヒロインが登場するなか、誰か1人とのエンディングを選ぶという構造が一般的。さらにいえば、トゥルーエンドとして特定のヒロインが中心となる話が用意されていることも多かった。そこでプレイヤーに突きつけられていたのは、“最終的に誰か1人のヒロインを選ばなくてはいけない”という倫理観だ。 その一方、ソシャゲのシナリオは基本的にエンディングを迎えることがない。そのため同じマルチヒロイン形式だったとしても、主人公が誰か1人を選ぶ必要はなく、ひたすらに恋愛イベントだけが積み重なっていく。極端に表現するなら、ヒロイン全員との幸せな関係が半永久的に続いていく世界観と言えるだろう。 ところで2007年放送のアニメ『School Days』は、主人公・伊藤誠が複数のヒロインたちのあいだで次々と浮気していき、最後に容赦なく命を奪われるというバッドエンドで有名だが、原作は元々PC向けにリリースされた美少女ゲームだった。現代では“二股公認”の主人公が出てきているが、もしかすると伊藤誠も令和のラブコメ主人公だったなら、惨劇が起きずに済んだのかもしれない……。
キットゥン希美