伝統を守りたい…窮地に立つモンゴルのサーカス学校
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【1月14日 AFP】モンゴルの首都ウランバートルで、天井が高いホールをサーカス団員たちが飛び交っている。ここは、公立モンゴル・サーカス学校(Mongolian Circus School)の生徒が世界で活躍する日を目指し、日々練習できる数少ない施設の一つだ。だが当局は建物が老朽化しており、いつ崩壊してもおかしくないと警告している。 築100年を超えるボロボロの建物は、世界的サーカス団シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque Du Soleil)などで活躍する多数の卒業生が、キャリアをスタートさせた場所でもある。 モンゴル伝統の移動式住居「ゲル」のような形をしたホールで、ぼろぼろの垂木(たるき)にくくり付けられた命綱を使って、生徒たちはアクロバットや空中ブランコなどの技を練習する。 壁のペンキは剥がれ落ち、器具はさびついている。 当局は危険だと警告しているが、モンゴルのサーカスが世界に誇る危険な曲芸を練習するには、この高い天井が理想的だ。 元サーカスアートディレクター、ゲレルバータル・ユンデン氏は「かつてのサーカス人気をよみがえらせたい」「これは私たちの義務だ」と話した。 サーカスは長年、全国から集客が見込める、モンゴルで最も人気のエンターテインメントの一つだった。 数百年の歴史を持つモンゴルの曲芸師「オランノガラ」は、世界的に評価されている。 ■復興 モンゴル唯一の近代的なサーカス劇場は、冷戦(Cold War)時代に同じく社会主義国だったルーマニアから寄贈された。 政府はこのサーカス劇場をモンゴル人として初めて横綱となった朝青龍ことドルゴルスレン・ダグワドルジ(Dagvadorj Dolgorsuren)氏に売却した。 母国での投資に熱心だったダグワドルジ氏は劇場を「アサ・サーカス(Asa Circus)」と改名した。劇場はサーカス学校の生徒には、研さんを積むための場として無償で貸し出される予定だった。 だが、有名歌手のコンサートやイベントが多数開催されるようになり、サーカスの公演は年々減っている。 ■アーティストが評価されない 劇場は、モンゴル・サーカス学校の数少ない訓練施設でもあったため、練習場所も減ってしまった。 新しい校舎の建設も進められているが、何年たっても終わる気配はない。数十人の生徒を15人の指導者が教えているが、深刻なスペース不足に直面している。 指導者らは政府に、工事を早めるよう訴えている。 このため学校は本拠地から遠く離れた建物を借り、生徒らは長時間の電車通学を余儀なくされている。 ジャグリングを学ぶ生徒は「問題はいっぱいある。サーカスは空間芸術だが、ここにはわずかな空間しかない」と話した。 劇場が民営化された際、曲芸師の多くはモンゴル・サーカス学校から独立し、より専門的な小規模教室を立ち上げた。 こうした小規模な教室を運営するエルデネツェツェグ・バダルチさんは、旧ソ連が支援する政権下で曲芸師の訓練を受け、何千回もの公演で経験を積んできた。 バダルチさんはAFPに、今ある施設は全く不十分だと指摘する。 「サーカス・アーティストになるには、衣装のデザインや舞台での口上、ボディーランゲージなど、さまざまなことを学ばなければならない」「自分の小規模なスタジオではすべてを教えられない」と話した。 曲芸指導者バド・トムルバータルさんはAFPに、国が支援を強化しない限り、才能ある生徒がいても未来は暗いと話した。 トムルバートルさんは「この国はもっと評価されるべき才能あるアーティストを無視している」「モンゴル人アーティストがより良い待遇と収入を求めてモンゴルを離れる理由はこれだ」と訴える。 ある芸術学校のサーカス学部のボロルトヤ・プレブドルジ(Bolortuya Purevdorj)学長はAFPに「国際大会やフェスティバルに行くたび、留学生を受け入れてほしいと頼まれる」と話した。 「けれど指導者も人手も足りないと言って丁重に断っている」「訓練施設も足りない」という。 AFPが取材したパフォーマーたちは、仲間の約85%は外国で働いていると話した。トルコには少なくとも400人、米国と欧州には500人ほどが住んでいるという。 映像は2023年9月撮影。(c)AFPBB News