「汚い格好で赤鬼みたいな顔をしたのが…」朝鮮半島に侵攻してきたソ連兵は「女性の髪の中」までさぐり、根こそぎ略奪した #戦争の記憶
まず狙われたのは「時計」
全ての物資を現地調達する方式は、日本人、朝鮮人の区別なく民間人に無数の被害を生んだ。 「やつらはとにかく、何もモノがない。まず狙うのが時計です。腕時計だろうが置き時計だろうが、脅してひったくった。僕が仲良くなったソ連兵は『時計なんて自分の村には教会に一つだけしかない』と言っていた。 日本人だろうと朝鮮人だろうと、行き交う人を捕まえては、時計をひったくる。両腕にたくさんの時計をはめている兵士もいた。 連中はねじを巻くことを知らないんだ。だからカチカチという時計の針が動く音がしないと、『死んだ』と言って捨てちゃうんですよ」
若い女の兵士がニヤニヤとしながら、ピストルを突きつけて「動くな」
藤川の家に、ソ連兵が強盗に押し入ったのは白昼のことだったという。食品加工会社に勤務していた父の一生は終戦の3カ月前から、中国・天津に長期出張していた。植民地時代の警察はすでになく、無法者を阻止する者はいなかった。 「家の前に軍用トラックを横付けするんですよ。『来たぞ』と言うと、おばあちゃんだけ残して、母と姉や妹は天井裏に隠れた。まだ若い女の兵士がニヤニヤとしながら、僕にピストルを突きつけて『動くな』と。拳銃を突きつけた女は囚人ではなく、将校にみえました。 一緒に来た4~5人の男が、部屋中を探すんです。6畳ほどのじゅうたんを部屋に敷いて、日用品や時計、洋酒などあらゆるモノをじゅうたんの上にボンボン入れちゃう。家中を物色し終わると、女に『これくらいでいいか』と聞いて、彼女が『うん』と言うと、じゅうたんの四隅をもって引きずりながら出て行った。そういう被害が2度ありました」 *** 第1回の〈「もう一人の杉原千畝」 究極の利他を実践、6万人もの日本人を救った「義士」がいた〉では極めて過酷な状況下で6万人という、外交官・杉原千畝の「10倍」もの同胞を祖国に導いた「松村義士男(ぎしお)」について紹介している。 ※『奪還 日本人難民6万人を救った男』より一部抜粋・再編集。
デイリー新潮編集部
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