「プロレスは仕事ではなくライフワーク」…四十代で和田拓也に訪れた出逢いと導き人【週刊プロレス】
総合格闘技vs学プロという真逆のバックボーンによるタッグタイトル戦
小中学生時代の和田は三沢光晴、川田利明、闘魂三銃士、獣神サンダー・ライガーらにあこがれ、プロレスラーになりたくてレスリングを始めた。ところが、やっているうちに格闘技人気が高まってきたため、気持ちがそちらへ向いていった。 フジタ“Jr”ハヤト、竹田誠志、芦野祥太郎、本田竜輝らを輩出した名門・自由ヶ丘学園でレスリングに没頭していた頃にパンクラスが旗揚げし、アメルカではUFCがスタート。やがてPRIDEがメガイベントとなり、総合格闘技が市民権を得るようになった。 プロレスファンから、格闘技の強さを求める道にシフトするアスリートが数多くいた時代。専門誌を見て入門テストの情報を拾っていた和田だったが、身長規定の壁が立ちはだかった。 「それに対し格闘技は階級別なんで、小さくてもプロになれるのに惹かれました。ファンの頃は、全日本プロレスを受けたいと思っていたんですけど…」 中学時代の同級生・青木篤志は高校から別の道を歩み、自衛隊を経由しプロレスラーとなった。その姿が羨ましく映ったかと聞くと「羨ましいというよりも、競技は違えど同じプロの世界で同じ時期に闘えたのが嬉しかったです。しかもお互い、実績もあげられたし」と振り返る。 その青木が、ノアを離れ全日本所属となった時は運命の巡り合わせを感じた。そこからさらに糸は伸び、2011年に格闘技を引退していた自分をプロレスと結びつけた。 佐藤光留が主宰するハードヒットのリングに青木の存在がなかったら、少年時代にあこがれた場所へ到達しなかった。勝村の存在もそうだが、和田の人生にはここぞというところで導く人間が立っている。 「それも格闘技の世界でちゃんとやってきたからだと思うんです。そういうものの積み重ねによって人との関係も築かれて、自分があこがれていた世界に導いてくれた。ガンプロへ上がるようになったあとも、中途半端なままやめていたらベルトを巻くこともなかったでしょうし」 2023年1月28日、和田にとってのガンプロ初戦は、勝村によるプロデュース興行。自身も同じく初めてそのリングへ上がった時に用意されたのがシバターとのタッグマッで、2戦目はミスターNOと、格闘技畑でやってきた人間にとって次元の違いすぎるカードで試された経験を踏まえてチョイスした相手は、香港国際警察マンだった。 洗礼を浴びた和田は「この1年3ヵ月で、あれがベストバウト」と言い張る。そこから一つずつ、ふり幅の広い命題を提示され、自分なりに解答を出しタイトルホルダーとしての“役どころ”を全するのだ。 「ロマンスドーンの二人っていうのは、僕が離れて見ていなかった時のプロレスを知っている。その意味で、今まで対戦していないタイプの強くて巧いチームですよね。僕なんて、やっていてわけがわからなくなるぐらいの連係、技術がある。聞いたら学プロ時代以来の付き合いということで、こっちは格闘技時代から。その二つのチームがぶつかるあたりがガンプロだと思うし。 格闘技と学プロ、真逆のバックボーンを持つチームがやるわけですから、その違いをここで見せなければ。僕と勝村さんはそれほど連係もないので、個々の技術で勝ちを獲りにいくのみです。僕は格闘技の頃も相手の研究をして臨むタイプ。高尾選手は初めてだし翔太選手もそんなやっていないんで、当日までちゃんと準備してリングに上がります」 2006年、18歳の頃に学生プロレスで出逢った高尾と翔太は、アマチュアとして「マッスル」のリングへ上がり、プロ入り後は別の団体で活動しながら今、同じコーナーへ立つようになった。勝村&和田がガンプロのタイトルなら、こちらはDDTでKO-Dタッグを獲得。 確かに、和田自身が認めるようにチーム力、プロレス脳に詰まったアーカイブ量、経験値は圧倒的に王者組を上回る。だからこそ、勝村との関係性の濃さを武器にすることで、ロマンスドーンを超えようというのだ。 「今回が独立前最後のタイトルマッチになるわけですが、1年3ヵ月とまだ短いながらガンプロでやってきて、今まで一緒に仕事をしてきた人とできなくなるのが残念との思いがあります。それは選手だけでなくスタッフさんも含めてです。でも、こうして上がらせていただいている限りは、僕も(独立するほどの)熱意でついていくのみ。僕なりのガンプロに対する仁義があるんで」 独立後のガンプロとの関係については「ついていく」という言い回しをした和田。字ヅラ的には他人任せに受け取られるかもしれないが、声質から伝わってきたのはむしろ「食らいつく」といった強い意志の方だった。 ガンプロに対する思い入れが高まり所属を選択した勝村に対し、和田は今もフリーランスの立場。それほどの愛着が芽生えれば同じ道を希望しても不思議ではなかったし、むしろ歓迎されるはずだ。 「僕は昔から集団で行動したり、みんなでワイワイやったりする方じゃなくて修学旅行にいかないタイプですね。ガンプロってやっぱり、みんなで楽しくっていう団体だと思うし、そんなところに自分のような人間がいて大丈夫なのかなとも思います。明らかに僕だけ違う。 勝村さんはいろんな人とのかかわり方がうまいでしょう。僕は、相手からしたら…たぶん、怖いんだろうな。そんなつもりじゃないのに、警戒されているような。でも仲間だと思えるし、愛着はやっぱりありますよ」 組織にはそういう人間が、一人いた方が面白い。団体と仲間たちに対する思い入れと、自身にとっての本来の性分が並行して保てているのだから、むしろ理想的な距離感の持ち方ではと思う。 大家のような必要以上に間合いを詰めてくるタイプとも、関係性が成り立つのだ。グラウンドさばき同様、その点でも和田は業師なのだろう。 格闘技も続け、他に職を持つ和田だけにプロレスを続ける必然性にはとらわれていない。言ってしまえば、やらなくても食っていける立場だ。 「もし二十代、三十代でやっていたら、食えるようになるべく頑張っていたと思います。でも今は、それで食えるようにとは思っていません。僕にとってのプロレスは、ライフワークになっていくんだと思います。仕事としてだけのものだったらつまらないと思うんですよ。こうやって取材していただいて、お客さんに見ていただいて、評価していただいて、時には泣いてくれて…。 そういうことがあるからモチベーションになるわけであって、そこに喜びを感じるんです。格闘技の頃はこれ一本で食えるようになろうというのを目指してやっていたのが、今はお客さんに満足してもらうのが目的です。当時は勝つことだけで頭がいっぱいで、お客さんの存在なんて考えられなかった。でも今は、そこがプロレスをやる理由になっているんですね」 ハードヒット、ガンプロを経て観客のリアクションによって得られる快感と出逢えた和田。この団体とのかかわりを「ついていく」と表現したその思い、理解していただけるだろうか。 リングへ上がれるのは50歳ぐらいまでと考える中、この先やりたいのは独立した形でのビッグマッチ。今後、大会場での試合が実現できたら、Cyber傘下時とは別の味わいとなる。 勝村は大田区初進出の時に、ファン時代のあこがれだった鈴木みのるとの一騎打ちを実現させた。それに対し和田は、先にあげた選手たちがほとんどリングを降りてしまった。 「本音を言ったら、ライガーさんと対戦したかったんですが、ちょっとずれちゃいましたからね。でも、僕はやりたいことがなくなったらリングを降りると思うんで、こうして上がり続けている間は、想像を超えた何かが実現するんじゃないかと思っています。今までがそうだったように――」 (文・鈴木健.txt)
週刊プロレス編集部