65周年・吉本新喜劇の知られざる「舞台裏」…間寛平や島田珠代に“ボロボロ”にされるセットの「意外な工夫」
笑えて、泣ける
関西人が二人そろえば漫才になる。世間ではそう言われている。漫才がそれほど簡単ならば、漫才師は誰も苦労はしない。あきらかな誇張表現だが、こんな言葉が存在すること自体、関西人に漫才が根ざしている証拠でもある。 【写真】岡八朗、花紀京、間寛平、木村進、池乃めだか…新喜劇の65年を振り返る さらにこの言葉には、もう一つ訂正箇所がある。関西人の心には漫才よりも、吉本新喜劇の方が深く根を下ろしている。というのも新喜劇は、毎週定期的にテレビで放送しているからだ。だんぜん漫才よりも目に触れる機会が多い。 かつての関西の子供達は毎週土曜日のお昼になると、新喜劇を見ながら、チキンラーメンを食べるのが定番の過ごし方だった。もちろん僕もその一人だ。 3分間待てずに少し固めの麺を啜り、間寛平と池乃めだかのサルとネコの喧嘩で大笑いする。人生で一番笑ったかもしれない。 幼少期の記憶が、腹を抱えて笑うという蜜柑色で染まっていることは、人生において何よりも幸せなことだ。 放送作家の経験を経て、今も小説家として『笑って泣ける』が作風の僕は、新喜劇から多大な影響を受けている。新喜劇が教科書であり、丸暗記するほど読みふけった。 新喜劇は座員数百名を超えて、日本一の観客動員数を誇っている。名実ともに、日本を代表する劇団だ。 そんな吉本新喜劇が65周年を迎えた。7月からは全国を回るツアーも開催される。 娯楽の世界ほど移り変わりが早く、寿命が短いものはない。そんな過酷な世界で、65年という長い歴史を刻めたのだ。これは快挙以外の何物でもない。 なぜ吉本新喜劇は、これほど長きに渡って愛されているのだろうか。その秘密をぜひ解き明かしてみたい。今回、貴重な時間をいただき、座員と関係者の方々に取材をさせていただいた。エンタメ業界の人間のみならず、ビジネスマンやその他の方にとっても、興味深い話が聞けるはずだ。 そもそも新喜劇はどのようにして作られているのだろうか? まずは新喜劇の作家・鳴瀬冨三子さんに話をきいた。 ー新喜劇の台本はどのように作られているのでしょうか。 「 大体二ヶ月前ぐらいから動き始めます。作家さんによっていろいろやり方は違うんですが、まずは座長と社員さんと打ち合わせをします。プロットを何個か提出して、これで行こうかみたいな話になって、そこからキャストを決める。原稿が出来上がったら、やっぱりこっちの方がいいかなとか擦り合わせて完成を目指す感じですね」 ー台本を作る難しさや、注意している点はありますか? 「 劇場のお客さんのなかには、テレビの(定番の)新喜劇を見たい方もいらっしゃる。かといって毎週同じことばっかりしてたら、同じやんってなる。その兼ね合いをどれぐらいにするかなというのは考えます。 私に新喜劇の作り方を教えてくださった師匠・檀上茂先生に言われたのは『作家は土台を作るのが仕事で、面白くするのは芸人さんの仕事。おまえは話の筋をしっかり書きなさい』ということ。また檀上先生は『生活が苦しくて自殺をしようとしていた人が、新喜劇を見た。面白くて大笑いして、芝居の話も感動して、自殺を止めたというお礼の手紙をくれた。俺達はそういうものを書いてきたんや。そこが大事や』とも言ってくださいました。まだまだ私はそんな話を書けていませんが……」