アルツハイマー病で東大を辞職…失意の元教授が自らの病を受け入れた「奇跡の瞬間」
信念をためらうことなく表現
一方で晋は、学生の要求に真剣に向き合おうとしない教授たちの姿勢も目の当たりにしました。その経験もあり、母校を変えたい気持ちを胸に抱いて東大に赴任したのです。 2000年、太平洋戦争で命を落とした東大医学部生の慰霊碑建立が計画されたことがあります。晋は『鉄門だより』(2001年1月10日号)に、こんな意見を寄せました。 被害者としての側面のみを前面に出す碑は建立すべきではない。加害者としての罪責も明らかにし、そのような悲劇と、罪を犯すことが二度とないようにしようという反戦の碑であるのならば個人的には賛成であるが、少なくとも教授総会の説明ではそのような意図はないように感じられた。(中略) 日本人としての立場だけで考えるのでなく、今まで以上にグローバルな視点から物事を考えるようにならなければならないと思う。慰霊碑は日本人としての立場を日本人でない方々に押し付けることになり、国際化の流れに逆行するものである。 信念をためらうことなく表現するのも、〈東大を変えたい〉との思いからでしょう。 しかし、その思いは、病気、それもアルツハイマー病というやっかいな病気によって、不意に断たれたのでした。だから、 〈自分は、何のために生きているのか〉 そんな虚しさを、ずっと拭えなかったのかもしれません。 私には、そんな晋を見ていることしかできないのだろうか。ふたりでクリスティーンの話を聞き、信仰に裏打ちされたその生き方に触れれば、何か変わるのではないか――。札幌にとどまったのは、実はそんな期待もあってのことでした。 活動的だった昔の晋と、無気力にさえ見える現在の姿を知っているがゆえに、高々と手を挙げる彼の姿は心に強くのこりました。だから講演後、貴美子さんにマンションまで送ってもらう帰りの車中、私は晋に小声でこう尋ねたのです。 「どうして手を挙げたの?」 「何も考えてないよ。自然に手が挙がったんだよ」 晋の目は、まっすぐ前を見つめていました。
若井 克子