両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」Vol.2
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
キリスト教徒のカレン族
1998年、クロエはこの家で生を享けた。「その前に生まれた長男は死んだので、最初の子供になりました」とタンアウンは言う。タンアウンの妻の両親も、その母の両親もまたこの村で暮らしていた。それ以前のことは分からないが、すくなくとも200年近く前から、彼らの血族がこの村で暮らしていたことは事実であるように思われた。それでも彼らは、後から来た人々だったらしい。 「この近くには、私たちよりも先に住んでいた仏教徒のカレン族がいるので、森の中には住めません。この場所になら住めると言われたそうです。昔から使っている畑からも遠い場所ですが、仕方ありませんね」 この経緯は、クロエの家族を含め、この村のカレン族たちの多くがキリスト教徒であるという事情からも窺えるだろう。キリスト教は、イギリスの植民地主義にともない、18世紀末からミャンマーを冒し始めた。 起点そのものを振り返れば、キリスト教徒であるというクロエの一族は、それ以降に、この場所へやって来たのだろう。「先祖から継いだ畑で、米や果物を作っています。畑作できない時期は、山で木材を切り出して、町へ売りにいきます」(タンアウン)と言うので、彼に1枚の写真を見せた。山登りをしている最中に見かけた密林の中の看板。ビルマ語で書かれており、取材班には読めない。 「LEADの権利を得たと書いてあります」 やはり、そうだった。おそらく、看板に書かれているのは鉛鉱石の採掘許可だ。 「この家や畑が、あなたたち血族の所有物であるという書類を持っていますか?」 そう尋ねると、タンアウンやクロエの両親は否定した。後日、ヤンゴンでビルマ族の協力者に写真を見せると、詳細を調べてくれた。 「これは中国ですね。鉛鉱石の採掘権を得たと書いてあります。ミャンマーは、外国人が単独で採掘権を得ることはできないので、形式上、ミャンマー人を立てます。この看板でも、最高責任者はミャンマー人の名前ですが、マネジャーとして書かれているのは、シャン州で羽振りを利かせている中国人実業家の名前です」 残念ながら、彼らの村も彼らの畑も、法的には彼らのものではなく、別の誰かの所有物だった。 「採掘が許可された期間は3年と書かれています。この村は立ち退きさせられる可能性が高いですね」 もし、あの土地を失ったなら、クロエの両親はどうするだろうか。彼女と4人の妹弟のうちふたりを、彼らはすでに難民キャンプへ捨てている。あるいはクロエと同じように、彼ら自身も宗旨替えをするのだろうか。 この家と村から放り出されたとき、クロエは9歳だった。