【前編】1986年、名盤『SUPREME』が生まれた日。―松本隆&松田聖子
●『風立ちぬ/Romance』 1981年10月7日発売/松田聖子。資生堂のCMソングとして大ヒットした『Romance』は「平井夏美」名義での初作品。ある日川原さんのもとへ大滝さんから連絡があり、急いで翌日の締め切りまでに仕上げたと言う。トニー・ハッチが作曲したペトゥラ・クラークの『マイ・ラヴ』(英国1965年)にインスパイアされたメロディには、新しさと懐かしさが幾重にも。『風立ちぬ』は大滝詠一作曲。グリコ・ポッキーのCMソングとして、能登や金沢を訪れた松田聖子の映像と共に流れ、大ヒットした。 水原:川原さんは、松田聖子さんの『Romance』(1981年)で作曲家として松本さんと組み、その後プロデューサーとして森進一さんの『冬のリヴィエラ』(1982年)でもお仕事をされたんですよね。 川原:そのあたりからのお付き合いでした。不思議と最初から打ち解けて、ビートルズやビーチボーイズ、ボブ・ディランなど音楽の好みも似ていた。年代も近いから子供の頃に読んだ漫画も同じで、『鉄腕アトム』(1952~68年連載)の最終回の話で盛り上がったり。気づいたら日常的に仕事場におじゃまして音楽談義をするようになっていたんです。で、自分は京平さんの仕事も多かったので、自然とお二人の音楽業界での窓口もするようになり。 水原:それも川原さんのすごいところです。ビクターのプロデューサーでありながら作曲家であり、他社のコーディネーションもされて。変な話、今は守秘義務もあってメールにパスワードをかけるような時代ですから。 川原:当時はレコード会社も関係なく自由に交流していたんですよ。松本組、京平組といった感じで各社のスタッフがサロンのように集まり、みんな新しい日本の音楽を作っていく気概に溢れていた。そこで情報交換して人気者同士の発売日が重ならないようにしたこともあったし。それぞれが1位になった方が盛り上がるから。 水原:そんな80年代真っ只中の1986年に、松田聖子さんの事務所から川原さんのところへ連絡が来たんですね。 川原:自分は聖子さんが当時所属していたサンミュージックの制作スタッフとも仲が良かったので、ある日「松本隆さんにお願いがあるので相談に乗ってほしい」と言われて。 水原:聖子さんは人気絶頂のまま結婚休業中。松本さんとはシングル『ハートのイアリング』(1984年)以降1年以上ブランクがあった時期ですよね。 川原:先に、他の作家陣の楽曲でアルバムの準備を進めていたけれど、スタッフや聖子さんの間でなかなかコンセンサスが取れずに紛糾していた。事実上の緊急招集でした。なので松本さんには「とにかくやったほうがいいよ」と伝えたんです。聖子さんのアルバムが出ないのは業界全体としても大きな損失でしたから。 水原:復帰後の初作品で、聖子さん本人も思い入れが強かったんでしょうね。松本さんは躊躇されていたんですか? 川原:あの頃、松田聖子さんはシングルの連続1位記録も更新中で、現場には常に緊張感もあり大変な場面も多かった。ただ、あれは間違いなく松本さんにしかできない仕事でした。それで、まずは制作を進める上での混乱を招かないよう、松本さんのプロデュース権を確約してもらい、松本さんが仕事をしやすい環境を整えてもらいました。そこからもう一度、松本さんと自分とで候補曲を全部聴き直して、おそらく100曲以上あったはず。その後、新規で発注した曲もあり、松本さんが全ての詞を新たに書き下ろしていったんです。 水原:それで、あんなすごいコンセプトアルバムが生まれたんですね。『SUPREME』は作曲陣も新鮮でした。 川原:80年代前半に聖子さんに曲を提供していた作家陣ではなく、あえて新しいメンバーにオファーし、アレンジも当時まだ新人だった武部聡志さんを中心にお願いしました。武部さんは前年に斉藤由貴さんのデビュー曲『卒業』(1985年)を編曲していて、僕と松本さんとの間で、武部さんの才能をもっと世の中の人に知ってほしいという気持ちも強かったので。 水原:武部さんの著書によると、一曲目の『螢の草原』とラストの『瑠璃色の地球』のシンセサイザーが同じ音色で、ずっと繰り返して聴けるようになっているそうです。 川原:ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967年)なんかと同じ考え方ですよね。武部さんも通過してきた音楽が松本さんや僕と同じだから通じ合う。 水原:そして松本さんから川原さんにも「一曲書いて」とお話があり。 川原:それがまさに『瑠璃色の地球』でした。タイトルだけ先にもらって。詞も壮大なメッセージがあり実に素晴らしかった。 水原:どんなことを思いながら作曲されたんですか? 川原:聖子さんは声そのものがメディアというか、声にポピュラリティーがある。だから極端な話『君が代』を歌っても聖子さんの歌になるんです。あの頃、難しいトライアルをしても、聖子さんは簡単に自分の色に染めてしまうので、リスナーもスリリングな挑戦を楽しみにしていた。それで『瑠璃色の地球』では、従来の聖子さんの作品とは大きく違う試みをしてみたんです。 ※参考文献『すべては歌のために ポップスの名手が語る22曲のプロデュース&アレンジ・ワーク』 武部 聡志(リットーミュージック) ●川原伸司 音楽プロデューサー、作曲家。日大芸術学部を卒業後ビクター入社、後にソニー・ミュージックエンタテインメントへ。ピンク・レディー、杉真理、松本伊代、The Good-Byeらの制作現場を経験しつつ、井上陽水、筒美京平、大滝詠一、松本隆らと交流。大滝詠一、中森明菜、TOKIO、ダウンタウン等をプロデュースし、松田聖子や森進一の楽曲制作も。『ジョージ・マーティンになりたくて~プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録~』(シンコーミュージック)が絶賛発売中! Photo(record)&Text_Kuuki Mizuhara
GINZA