後藤真希がすごかったのは「できない」「やりたくない」がなかったから。プロデューサー・つんく♂が語る「伸びしろのある人」の条件とは?
凡人が天才に勝つ方法 #3
稀代のヒットメーカー・つんく♂の新刊『凡人が天才に勝つ方法』(東洋経済新報社)では、プロデューサー視点で見た「伸びる人」「伸びない人」の決定的な差が紹介されている。 【関連書籍】自分の中の「眠れる才能」を見つけ、劇的に伸ばす45の黄金ルール
今回はアイドルグループ・モーニング娘。の歴史が長く続いた理由を、『凡人が天才に勝つ方法』より一部抜粋・再構成してお届けする。
最初から「NO」が多い人は、本当に伸びない。 決して「NO」と言わず、まずはやってみて、自分の糧とする
モーニング娘。がいまもなお人気を維持しながら続いているのはなぜか。 僕がいま、彼女たちを振り返って思うのは、初期メンバーがプロデューサーつんく♂のプロデュース方針に対して「NO(できません、やりたくないです)」を言わなかったことがいちばん大きな要因だったんじゃないかということです。 これはいわゆるパワハラとか「言いたいことが言えない」という圧ではなく、誰でも現状が変わっていくことに不安はあるけど、それ以上に未来に対していい意味の期待感をもっていてくれたんじゃないかと思うんです。「つんく♂なら何かやってくれるんじゃないか!」みたいな。ドキドキハラハラしながらも、みんなが楽しみながら立ち向かってくれた結果です。 その中でもいまにつながる大きな突破口は、「追加メンバーを募集する」と発表したときです。安倍なつみや飯田圭織など、すでに人気のあったメンバーは、さらにライバルが増えることに対して、内心では「嫌だ」「許せない」という気持ちがあったと思うんです。 それでも、モーニング娘。にとってのいい結果につながるのではないかという、エンタメ的なハラハラドキドキにうまく乗っかってくれたから、あれから25年も続くレジェンドグループになれたのだと思います。 叱り役になってくれた中澤裕子や、いい感じに叱られ役となってファン心理を勝ち取った2期メンバーも、番組にとっても、音楽をつくる僕にとっても貴重な存在でした。そんな中で、番組でも何かと注目されていた安倍なつみのプレッシャーも相当あったことでしょう。
後藤真希の加入で、より切磋琢磨したメンバーたち
そして、第3期メンバー募集のオーディションに応募してきたのが後藤真希でした。 当初は2名合格させるつもりでしたが、後藤に対するもうひとりを選ぶことができず、合格者は彼女のみとしました。 その後の『LOVEマシーン』の大ヒット、同時に後藤の人気っぷりは、記憶している人も多いと思います。 後藤のすごさは、最初に感じた才能だけではありませんでした。 加入したばかりのころは、彼女もできないことがたくさんありました。当然ですが、ダンスや歌、コンサートの立ち位置のことなど、何もわかりませんでした。 それでもほかのメンバーと同じように、決して 「NO(できません、やりたくないです)」とは言いませんでした。 顔には出しませんが、「なにくそ! やってやる」という姿勢と、「やってみてから考えよう」というポジティブさを感じました(本人的には、もっと無邪気な気持ちだったかもしれませんが)。 彼女はメンバーになってから驚異的なスピードで成長し、場に対応する能力を身につけていきました。 失敗を恐れず、成功体験を上手に生かし、また次のステップへと成長していきました。 そして後藤が成長すればするほど、初期メンバー、2期メンバーもそれに負けじと切磋琢磨し、どんどん成長していきました。 僕がアマチュアバンド時代から何年もかけて身につけたようなスキルを、彼女たちはあっという間に身につけていったのです。 当時のものすごいハードスケジュールの中、誰ひとり「NO!」や「ギブアップ!」を言ったメンバーはいなかった。僕はそう記憶しています。 「NO」と言い出しそうな子は、オーディションの段階でそういう匂いをプンプン出してきます。 もしひとりでもあのメンバーの中に、ネガティブ要素のある子が入っていたら、悪い負の連鎖も始まり、いまも続くモーニング娘。の歴史は早々と幕を閉じていたかもしれません。 みなさんも彼女たちのように 「NOの前に、まずはやってみる」 という精神を大切にしてみてくださいね!