<わたしたちと音楽 Vol.28>坂本美雨 性別を意識せずに育ったからこそ、今大切に思うこと
米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。 今回のゲストは、昨年、歌手としてデビューして25周年を迎えた坂本美雨。幼少期からさまざまな大人に囲まれて育ち、9歳からはアメリカに移住した。多様な人々との出会いによってフラットな価値観を得た彼女は、今の自身の子育てにもそれを反映しようとしている。歌手として、母親として、今感じていることについて聞いた
性別を超越した美しいものに憧れた幼少期
――小さいときに憧れていた女性像はありますか。 坂本美雨:9歳までは高円寺に住んでいたのですが、そもそもあまり男性、女性を意識せずに育ってきたんです。ジェンダーを意識するのは割と苦手なほうで……。だから“憧れていた女性像”はなかったのですが、美しいものは好きでした。JAPANというイギリスのバンドに憧れていましたね。JAPANは1982年に解散してしまったのですが、当時は日本でもヒットしていて、来日すると父(坂本龍一)と一緒に何かやったり、自宅に遊びに来たりしていて。あとはデヴィッド・ボウイやヘアメイクの嶋田ちあきさんも好きで……そう言えば、“メイクをすること”に憧れていたんですね。私の父もそうですし、私が目にする男の人はテレビや舞台に立つときにはお化粧をしていたので、「メイクは女の人がするもの」というジェンダーバイアスさえ持っていなかったんです。 ――確かに、男性が当たり前にメイクをしているのを目にしていれば、そのようなジェンダーバイアスは育たないですよね。 坂本:そうなんです。あとは幼少期から暗黒舞踏も好きでしたし、ティーンエイジャーになってからはヴィジュアル系バンドやゴシック調のものも大好きでした。性別を超越した美しいものたちですね。 ――小さいときからジェンダーの意識が曖昧な環境でお育ちになられて、その後大人になっていくにつれて意識するようになりましたか。 坂本:大人になってから、特に日本に帰ってきてからはジェンダーの問題について勉強してみたりしましたが、実はあまり声高にフェミニズムを主張するカルチャーはどちらかというと苦手だったんです。