松本潤の徳川家康は大河ドラマ史に刻まれた 『どうする家康』すべての思いが繋がる最終回
NHK大河ドラマ『どうする家康』最終回「神の君へ」。豊臣との決戦に踏み切った徳川家康(松本潤)は自ら前線へ立つ。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れ、滅びる覚悟でいた家康だが、この戦でも家康は生き延びた。 【写真】繰り返し語られてきた「白兎」が家光の描いた画として登場 家康は長い長い乱世が終わるのを見届けて、この世を去る。本作が大河ドラマ初出演、初主演となった松本は、誰もが知る武将・徳川家康を見事に演じ切った。 第1回を思い返すと、“か弱きプリンス”だった家康は臆病で、優柔不断で、「どうする」な状況に右往左往してばかりの殿だった。松本は家康の幼少期から演じていたが、無邪気で、喜怒哀楽がはっきり顔に表れてしまう優しい殿の姿をのびやかな演技で見せてくれた。ことあるごとに取り乱し、メソメソしてばかりだった家康の雰囲気が変わるきっかけとなるのが、瀬名(有村架純)との別れだ。 第25回での松本の演技は印象的だった。家康が信康(細田佳央太)の死を知った場面で、松本が見せたうつろな瞳や力なく立ち上がるさまに強い喪失感を覚えた。しかしここから家康は変貌する。自身の弱き心を捨て、本心を隠すようになった家康は、乱世を生き延びるための強さを持った。戦を切り抜ける度に、家康の佇まいは織田信長(岡田准一)や武田信玄(阿部寛)のような威厳、豊臣秀吉(ムロツヨシ)のような強かさをまとっていく。けれど、数多くの武将たちとは違い、家康は乱世の夢を見ることを望んではいなかった。家康の夢は戦なき世を作ること。石田三成(中村七之助)は「戦なき世など、なせぬ……」「まやかしの夢を語るな」と憤りをあらわにし、家康こそ戦乱を求むる者と息巻いたが、それでも家康はその夢を諦めるわけにはいかなかった。 戦なき世を作るため、乱世の亡霊をこの世にひとりとして残すことを許さなかった家康は、茶々(北川景子)と豊臣秀頼(作間龍斗)の助命という千姫(原菜乃華)の訴えを退けた。かつて白兎だった家康は、世間からは狡猾で恐ろしい狸と憎悪され、幾多もの戦を乗り越えたことで若い者たちから神代の昔のオロチと怖がられ、最愛の孫娘には「鬼」と呼ばれてしまう。 救いだったのは、家康の意志を理解する息子・秀忠(森崎ウィン)の存在だ。豊臣との戦で背負うことになるであろう汚名の全てを引き受けようとする家康の意志を理解し、秀忠は「最後くらい、私に背負わせてくだされ」と家康とともに戦が生んだ地獄を引き受けた。「鬼じゃ! 鬼畜じゃ!」「豊臣の天下を盗み取った化け物じゃ!」と千姫からなじられる家康だが、燃え盛る天守に手を合わせる面持ちは落ち着き払っていて、鬼にも化け物にも見えない。秀頼や茶々の命が尽き、天守が燃え尽きた後も、家康は同じ姿のままでいた。秀頼や茶々の場面が間にさしこまれたことによる効果もあると思うが、松本の拝む姿は、本当にずっと合掌していたのではないかと思わせるほど気持ちがこもっているように見え、合掌する家康の背中に畏怖の念を覚えた。 翌年、江戸は活気に満ちあふれる。僧・南光坊天海(小栗旬)は家康の偉業を称え、家康は全ての武家の憧れとして「神の君」と呼ばれるようになった。しかし当の家康は病に倒れ、誰もが家康を畏れるために、孤独な時間を過ごしている。「お幸せだったのでございましょうか……」と呟く阿茶(松本若菜)の不安げな声色が切なかった。おおらかな於愛(広瀬アリス)とはまた違う形で、阿茶は家康を支えてきた。数々の戦にも同行し、側室にして同志ともいえる阿茶だからこそ、家康に最期の時が近づくにつれ、ぐっと不安が押し寄せてきたのだろう。 家康は幸せだったのか。人生の幕引きが近づき、家康は瀬名、信康と再会する。 「やってきたことは……」 「ただの人殺しじゃ」 「あの金色の具足を着けたその日から、望んでしたことは一つもない……」 「望まぬことばかりを……したくもないことばかりをして……」 物悲しい瞳で呟く家康に心が苦しくなる。けれど、幼き竹千代(後の徳川家光/潤浩)には家康の真の姿が見えているかもしれない。絵を描くのが好きな家光が描いたのは白兎だ。家康はありし日のことを思い出す。 豊臣との戦の前、阿茶が聞きたいと言った鯉のお話。家康のことを信じ、忠義を尽くして支え続けた家臣たちとの日々。家臣たちに心から感謝し、深々と頭を下げる家康に、瀬名の声が優しく響く。 「お幸せでございますな、殿」 夢を見ているかのように穏やかな表情で、家康は息を引き取った。皆が笑い合い、賑やかな日々を過ごす、そんな安寧の世の礎を作り上げた人物の物語が幕を閉じた。
片山香帆