『千と千尋の神隠し』が呼び起こすノスタルジックな“ふるえ” 誇張された涙が意味するもの
ハクとの最初の出会いを思い出す千尋
千尋というひとりの少女の知覚/感覚を軸に描かれているシーンは他にもある。沼の底の駅に住む銭婆と会い別れを告げ、竜の姿のハクと空を飛んでいる時、サブリミナル効果のように水中を泳ぐ千尋の脚が挟み込まれる。幼い頃、川で遊んでいた千尋を助けたのがその川の主であるハクだった、というのがふたりの最初の出会いだったのだが、このカットはまさにその「感覚に刻み込まれた知覚としての」記憶を蘇らせるための描写として描かれている。 見えない、見ることができない、見たはずなのに思い出せない。でも、確かにそこにあるもの。 これが、『千と千尋の神隠し』という作品の大部分を構成する精神的な要素であり、だからこそ、観客の心の奥深くに訴えかけ、どこか遠くの風景を見ているような郷愁を感じさせ、ノスタルジックな「ふるえ」を起こさせるのである。 本作を観るときは、心の目を開いて観てほしい。心を解放して、まっさらな状態で観てほしいのだ。そうすれば私たちも千尋のように、きらめく何か小さなものを日常へと「持って帰って」これるだろうから。
安藤エヌ