リング禍、パンチドランカー…「ボクシング」のリスクに根強い廃止論も 危険を承知で挑む競技者を止める“倫理”は存在する?
「危害原則」と「パターナリズム」の衝突
慢性外傷性脳症はボクシングを始めてすぐに発症するのではなく、ダメージが蓄積されることにより後年になって発症するケースが一般的だ。 ここで問題になるのが「ボクシングを始める人は、その危険性を十分に理解しているのか」という点である。 『マンガで学ぶ スポーツ倫理』(科学同人)などの著書がある倫理学者の伊吹友秀教授によると(東京理科大学)、倫理学でボクシングについて議論される際には「危害原理」と「パターナリズム」の衝突が前面に出てくるという。 危害原理は「個人の自由は、それが他者に危害を及ぼすものでなければ、制限することは認められない」とする考え方。1859年に発表されたイギリスの哲学者J・S・ミルの著書『自由論』に由来する。 また、『自由論』では「本人に対して危害を及ぼす行為であっても、その行為を選択する自由を制限すべきではない」とする「愚行権」も提唱されている。 そして、パターナリズムとは「第三者や政府などが個人の選択に干渉して自由を制限することは、その制限が本人にとっての利益になるなら、認められる」とする考え方。 危害原理によれば、個々人がボクシングを行う自由を制限することは認められない。将来的にパンチドランカーになることも愚行権の範囲内だ。一方で、パターナリズムによれば、個々人がパンチドランカーになるのを防ぐためにボクシングの自由を制限することも認められ得る。 なお、倫理学者で「ボクシングを完全に廃止すべきだ」と主張している人は必ずしも多くはなく、むしろ廃止論を批判してボクシングを擁護する人もいる。 「ボクシング廃止論は、実際にケガや障害を負ったボクサーを診察してきた医師によって主張されることも多いと感じます」(伊吹教授)
飲酒や喫煙と同じく、未成年は制限が必要?
危害原理とパターナリズムの衝突は「飲酒」や「喫煙」などの問題でも登場する。 法律などでは、一般的に「成人には判断能力が備わっているために、健康被害のリスクについても理解可能であるから、本人の自己責任のもとに飲酒や喫煙を行う自由が認められる」との考えが採用されている。 一方で未成年は判断能力が未熟であり、また若いころからの飲酒や喫煙は深刻な健康被害を引き起こすリスクが高いために、パターナリズムに基づき、法律によって禁止されている。 伊吹教授によると、ボクシングの場合にも「若年層のボクシングは制限すべきか」「ボクシングを始めるのが認められる年齢の線引きをどこに置くべきか」などの点が問題になるという。 「なお、ボクシングの禁止や制限をすべきとしても、その禁止や制限を『法律』によって行うべきかどうかも議論の対象になります。 特定の道徳的な考え方を法律によって強制することを『リーガル・モラリズム』と呼びますが、倫理学者や法学者の中にはリーガル・モラリズムに批判的な人もいます」(伊吹教授)