「しまむら」が4年前のどん底から見事に復活するまで…2024年2月期は過去最高(有森隆)
【企業深層研究】しまむら(下) ファッションセンターしまむらなどを展開する衣料チェーン、しまむらが好調だ。2024年2月期の売上高は前期比3.1%増の6350億円、営業利益は3.8%増の553億円、純利益は5.4%増の400億円。店舗数は2227店。いずれも過去最高を更新した。 投資家に転身したマネックス創業者・松本大氏が「しまむら」に株主提案 しまむらは4年前のどん底から復活した。ファーストリテイリングのGU(ジーユー)など低価格を強みとする競合他社や、ネット通販との競争で業績が悪化。18年2月期から20年同期まで3期連続の減収減益に沈んだ。 対抗策として打ち出した値引き販売の拡大や商品数の絞り込みが裏目に出た。一段と客離れが進み、コロナ禍に伴う外出自粛が、これに追い打ちをかけた。 20年2月、新社長に就いた鈴木誠は日本大学を卒業して1989年にしまむらに入社した生え抜き。店舗管理や物流のシステムを担当し、直近には企画室長を務めていた。 鈴木新社長は、しまむらが低迷した理由について、「他社よりも価格優位性があることが、過去の成功体験になっていた」と語る。この“勝利の方程式”に従って特価商品を準備しチラシで売り出したが、消費者の反応は薄まるばかり。「大量生産、大量消費の時代は終わっていた」と総括した。 商売の原点に立ち戻るしかない。「中興の祖」である藤原秀次郎相談役(79=当時)を取締役に復帰させた。傘寿を迎える取締役の復帰に、株主の反応は厳しかった。同社が開示した臨時報告書によると、藤原の取締役選任の賛成率は66.9%にとどまった。機関投資家がノーを突きつけた。 創業者は島村恒俊。1953年、埼玉県比企郡小川町で島村呉服店を設立。将来のチェーンストア時代の到来を先読みし、61年、埼玉県東松山市にしまむら第1号を出店。チェーン展開を始めた。 藤原は慶応義塾大学を卒業後、家業を経て、70年、島村呉服店(現しまむら)に入社。藤原の経営者としての才能を見いだした島村は、若い藤原に重要な役割を与え、どんどん昇進させた。90年から15年間にわたってしまむら社長、その後の4年間は会長を務めた。 この間、ファッションセンターしまむらは猛烈な勢いで全国に展開、2009年相談役に退くまでに店舗数は1500を突破。社長・会長の在任中に店舗数を15倍に増やした。 創業当初、島村呉服店は埼玉県の小さな呉服店にすぎなかったが、今やユニクロを展開するファーストリテイリングに次ぐアパレル業界2位の売り上げまでになった。 地方の郊外に、低価格のカジュアル衣料品店を展開。老舗のアパレルが都心の出店で共食いするのを尻目に、しまむらは急成長を遂げた。巨大な流通資本が入ってこない、いわば、隙間を狙い撃ちにした。 しまむらをいかに再生させたのか。「売り場を見て、組織と数字に置き換えられない人は経営者ではない」というのが藤原の持論だ。 新社長の鈴木は中期経営計画で商品や販売力の見直しに着手。「基本を徹底するため、まず商品を強化した」という。 しまむらは婦人・紳士から寝具まで幅広い商品を取り扱っている。PB(プライベートブランド商品)、サプライヤーとの共同開発、コラボ商品の3つに力点を置いた。3年目に入った頃には、ベビー・子供から50代以上までをカバーできる10のブランドが出そろった。 田舎のおばちゃんの服と揶揄された、かつての商品はない。客層が若返り、高価格帯商品の導入も貢献し、過去最高の業績をもたらした。 27年2月期までの新中期経営計画では売上高7190億円(前期は6350億円)、営業利益率9.2%(同8.7%)を目指す。人件費の上昇が目の前にある。中計達成には大きな越えなければならない山がいくつもある。 =敬称略 (有森隆/経済ジャーナリスト)