【何観る週末シネマ】憎しみや復讐の連鎖を断ち切れない世界に放たれた強烈な言葉『ぼくは君たちを憎まないことにした』
この週末、何を観よう……。映画ライターのバフィー吉川が推したい1本をピックアップ。おすすめポイントともにご紹介します。今回ご紹介するのは、11月10日(金)より公開されている『ぼくは君たちを憎まないことにした』。気になった方はぜひ劇場へ。 〇ストーリー 2015年11月13日金曜日の朝。ジャーナリストのアントワーヌ・レリスは息子のメルヴィルと一緒に、仕事に急ぐ妻のエレーヌを送り出した。息子のために健康的な朝食を手作りして体調管理に気を配り、おしゃれでユーモアのセンスもある。最高の母であり、最愛の妻が、突然、天国へ行ってしまった。そんな時でも息子はお腹を空かせ、砂で遊び、絵本の読み聞かせをねだる。誰とも悲しみを共有できない苦しみと、これから続く育児への不安をはねのけるように、アントワーヌは手紙を書き始めた。妻の命を奪ったテロリストへの手紙は、息子と二人でも「今まで通りの生活を続ける」との決意表明であり、亡き妻への誓いのメッセージ。一晩で20万人以上がシェアし、新聞の一面を飾ったアントワーヌの「憎しみを贈らない」詩的な宣言は、動揺するパリの人々をクールダウンさせ、テロに屈しない団結力を芽生えさせていくのだった……。 〇おすすめポイント 実際に2015年に起きたパリ同時多発テロ事件。多くの死者と負傷者を出した悲惨な事件として記憶に新しい。そのターゲットとなってしまったバタクラン劇場で命を落とした妻アントワーヌ。 突如奪われてしまった日常に困惑しながらも、まだ理解しきれていない自分自身。何より今は幼いかもしれないが、のちに真実に気づく息子のために何を遺せるかと考えた末の結論として出したのは、憎しみや復讐の連鎖を断ち切ることであった。そういった負の感情を後世には残したくないというのは、親だからこその目線ともいえる。 世界が同じような意識でいるのであれば、そもそもテロなど発生しないかもしれないが、直接的被害を受けた遺族がそれを行うというのは精神的に簡単な話ではない。 アクション映画のようにヒーローがテロ集団を殲滅して終わりというわけにはいかないのが現実社会。 気休めとして書いたアントワーヌの「ぼくは君たちを憎まないことにした」という投稿が、のちに世間に広がる。事が大きくなり、連日のようにメディアでも取り上げられたりすることで、場合によっては同じ被害者、遺族からの反発にあうこともあり、自分の考えが果たして本当に正しいものであって、本当に自分がそう思っていることなのかがわからなくなる。 それは偽善ではないだろうか……。 もし妻を殺したテロリストが目の前にいたとして、自分が銃をもって撃てる状態であったとしても踏みとどまり、相手に対して「憎まない」と言えるだろうか。アントワーヌ自信も一方通行だと思って書いた自分の言葉の重圧と葛藤していくことになる。 テロへの報復は暴力へと発展し、暴力が暴力を生む。互いの正義を主張し合い、終わらない暴力連鎖を断ち切ることは難しいのがこの世界ではあるが、その憎しみや暴力の矛先が当事者だけではなく、事件を起こしたテログループがイスラム過激派(ジハーディスト)ということから、911テロのときのようにイスラムヘイトに発展し、二次、三次被害を生むことは珍しいことではない。 『マイネーム・イズ・ハーン』(2010)や『モーリタニアン 黒塗りの記録』(2021)などの作品でもムスリムであることや、見た目が似ているだけというだけで二次被害に苦しむ様子が描かれていた。 悪いのはテロであって、宗教や人種ではない。それはわかってはいる。わかっているはずなのに、同じような過ちを繰り返すのが人間であるが、アントワーヌの言葉に心を動かされた人たちやテロリストのなかにも少しでも響いた者がいたとしたら、事態は変わっていく可能性はあるのかもしれない……。 (C)2022 Komplizen Film Haut et Court Frakas Productions TOBIS / Erfttal Film und Fernsehproduktion 〇作品情報 監督・脚本:キリアン・リートホーフ『陽だまりハウスでマラソンを』 原作:「ぼくは君たちを憎まないことにした」 11月10日(金)TOHOシネマズシャンテほか全国公開
バフィー吉川