「新潮文庫の100冊」誕生物語 なぜ夏の風物詩に ヒットの軌跡・新潮文庫(下)
夏のキャンペーン「新潮文庫の100冊」は日本の出版界を変えたプロモーション企画だといわれる。読み手との距離を縮め、古今の名作を掘り起こした。大半の人が知るまでに育ったヒット企画はどのような経緯で生まれたのか。創刊110年を迎えた、日本で最も長い歴史を持つ文庫レーベルはインサイドストーリーも読み応えたっぷりだ。(前回の記事<「新潮文庫」の謎 なぜ、名作・傑作がそろっているのか>) 「新潮文庫の100冊」はもはや夏の風物詩と呼べるだろう。これほど日本の読み手に親しまれた書籍キャンペーンはほかに見当たらない。 第1回が催されたのは、ピンク・レディーがデビューし、田中角栄が逮捕された1976年。出版界では小説『限りなく透明に近いブルー』(村上龍著)の芥川賞受賞が話題を呼んだ年だ。 実は「100冊」というくくりは「新潮文庫の100冊」が最初ではなかったと、新潮社文庫出版部の佐々木勉部長は打ち明ける。「以前から他社にベスト100のような先行企画があった」(佐々木氏)。
新潮文庫にしか打てないキャンペーン
夏の文庫フェアは今では複数のレーベルが企画している。「ナツイチ」は集英社文庫の企画だ。角川文庫も夏フェアを打っている。しかし、知名度や人気の面では「新潮文庫の100冊」には及ばない。どうして最強クラスのキャンペーンに育ったのか。 最大の理由は「そもそもタイトルの厚みという点で、よその出版社にはまねするのが難しかった」(佐々木氏)。前回記事(「新潮文庫」の謎 なぜ、名作・傑作がそろっているのか)に示した通り、新潮文庫は小説の古典的名作が勢ぞろいしており、100タイトルを選ぶのは難しくない。 一方、文庫版の小説を主体に100点もの特選リストを作ることは1976年当時、まだタイトルの少なかった他社には至難だった。岩波書店は買い切り制なので、タイトル数は多くても、書店店頭で手に取れる数が足りない。つまり、「新潮文庫の100冊」は新潮文庫にしか打てないキャンペーンだったといえる。 キャンペーンは既に40回を超えていて、長年の宣伝が蓄積されたイメージは盤石だ。書店側の認知度も高いから、店頭では目立つポジションを用意してもらいやすい。 新潮文庫は1914年の創刊であり、「新潮文庫の100冊」スタート時点で既に62年もの蓄積があった。見方を変えれば、新刊ではないタイトルを書店店頭で目立たせにくくなっていた。 書店では新刊が優先されやすいので、名作といえども、既刊タイトルは影が薄くなりやすい。カバーの表(おもて)面を見せて並べる「平台」ではなく、背の部分しか見えない「棚差し」で陳列されがちだ。 「既刊タイトルを再び平台に並べてもらいたい」(佐々木氏)という思いから、「新潮文庫の100冊」は始まった。「おすすめの100点」のようなイメージのくくりを使って、未読タイトルに手を伸ばしてもらう効果も狙ったようだ。