お忍びで訪れたスタジアム…地元のために「何かできないか」 元日本代表の第2の人生【インタビュー】
長崎の高木琢也CROが地元に戻った理由「人生は何が起こるかわからない」
元日本代表FWの高木琢也氏が、V・ファーレン長崎の代表取締役 兼 C.R.O(クラブ・リレーションズ・オフィサー)として地元に帰ってきた理由を明かした。新スタジアム開業に尽力した1年を経て、長崎そしてサッカーへの思いを語ってくれた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大/全3回の3回目) 【実際の映像】ピッチと最短5m「もはやプレミア」 他サポ羨む長崎のピース・スタジアム ◇ ◇ ◇ 「人生って何が起こるかわからないですよね。色々なことを考えていても、理想通りに行くこともあれば、その通りに行かないこともたくさんあります。僕は自分の人生の中で、思ったことが叶っているほうだと思っているんです」 長崎・南島原市出身で国見高校を経てJリーグで活躍した高木氏。現役時代には長崎にJクラブはなかったが、サンフレッチェ広島時代には横浜フリューゲルスのホームゲームで現トランスコスモススタジアム長崎のピッチにも立った。日本代表として歴代7位となる27ゴール奪ったまさに地元のレジェンドだ。 高木氏は2000年限りで現役引退したが、前身の有明SCとして長崎にチームが誕生したのは2004年。「その頃はもう恥ずかしい年齢で、身体もガタガタだったと思います。動けるときでしたらまだやりたいなと思いましたが、もう動けなかった」と選手としてのプレーは叶わなかった。そして、2005年にはテクニカル・アドバイザーを務めた。 その後は横浜FC、東京ヴェルディ、ロアッソ熊本の監督を経て、2013年にはついに長崎の監督に就任。2017年にはJ2で2位となり、チームをJ1初昇格に導いた。しかし、2018年にはJ2降格に終わって退任すると、大宮アルディージャ、SC相模原の監督を歴任。2022年5月に相模原を退任後、長崎に戻ってきていた。 きっかけとなったのは、プライベートで訪れたトラスタでの試合。「応援してくださっているファン・サポーターの皆さんの声を耳にすることが多い距離感になり、こういう人たちのために何かできることはないかなと思ったのが初めでした」。あふれた地元への恩返しの思いから、再び復帰に向けて動き出した。