<市原隼人>「ダブルチート」現場で感じた“孤独”と“逡巡” 人生は“模索”「今はまだ自分でも自分がわからない」
「(田胡は)孤独な時間では常に逡巡の中にいる。自分がどんな人間かもわかっているけど、どうしていいかわからない。わからないことが一つの答えなのか。つかみどころのない人物が最終話でどこに着地するのか。見守るというか追いかけてほしいです」
◇座長として「自分の看板を背負って楽しんでほしい」
座長としての心構えを聞くと、「僕が言うのもおこがましいですが、総合芸術として、すべての方が必要とされる現場であってほしいと常に思っています」と答える。
「肩書を外しても話せる同志でありたいですし、肩書を持ってもなお、お互いが土台になって高みを目指せる関係性でありたいと。決してそれを押し付けるのではなく、それぞれが集団の中で個々の時間を大切しながら、自分の看板を背負って楽しんでいただければ」
田胡は自分の基準を持って生きているような人物だが、市原さん自身の生きる基準、譲れない部分とは。
「見られ方よりもまず在り方、その本質を大切にしたいと思っています。やらないで後悔するよりやって後悔する方がいいですし、いろんなことに挑戦してみたい。昨日、今日、明日と違う答えを持っていたい。でも純粋に誰かが笑ったら笑えるような人間でありたい」
そう答えた市原さんだが、実は「自分というものがわからないので、常にずっと模索していたい」と思いを吐露。「気がついたら80歳くらいになっていたい」とほがらかに笑う。
「10代や20代の頃と30代の今では居方が全然違う。根底は変わらなくても話し方や接し方、世の中の見方は変化している部分も。40代の自分はどんな自分になっているのだろうか。常にいろんなものに感化されながら生きていたいです。今はまだ自分でも自分があまりわからない。周りの方に教えていただき、その言葉を聞いて成長していきたいと思っています」(取材・文・撮影:遠藤政樹)