「邦楽は洋楽より下(笑)」カルト芸人・永野が語る“ロックの魅力”と“Z世代への喧嘩説法”
「音楽はただ聴くだけのものではなくて、どうやって生きていくのかという “人生の道標” になっています」 【画像あり】ジャケットになった永野 お笑い界きっての洋楽通で、そのロック愛を語り尽くすYouTube「永野CHANNEL」が話題の永野。宮崎県出身の49歳、孤高のカルト芸人が「自身の人格形成に大きな影響を与えた」という洋楽アルバムを10枚ピックアップしてくれた。だが、これが「名作10選」ではないという。 「へんな癖ですが、当時流行っていたメジャーな音楽をあえて外すんです。まわりの同級生がマイケル・ジャクソンの『BAD』(1987年)を聴いていたとき、俺はそれがすごく嫌で嫌で。子供心に『それよりスミスだろ!』って、知らないのにザ・スミスのCDを買った。ボン・ジョヴィとかもメジャーすぎて嫌いでした」 13歳ですでに、斜に構える「カルト芸人」の素地ができていたわけだ。U2からザ・スミスまでの中学生にしては “大人な” 4枚は、すべて「モノクロのジャケットが大人っぽくて」買ったものだった。貴重な小遣いで「買ったからには好きになるまで聴く」というスタンスだったという。和訳歌詞を読みこみ、強い政治的メッセージに衝撃を受けた。 「音楽って『音を楽しむ』ってみんな言うじゃないですか。わかるけど、こっちはジャケ買いして『買ってしまったからには元を取ろう』と、何度も我慢して聴いて、好きになる気持ちよさを知っているわけ。『音を楽しむだけのお前たちは、ただその手前で聴くのをやめただけじゃん?』という思いはありますね。俺にとって音楽は宗教のようなものです。聴くことを通して、人間が上がっていくような感覚ですね。ただね、『音を楽しむのがいいじゃん』って軽~く言ってる人のほうが、俺より幸せそうに見える……(笑)」 “苦しみながら” 洋楽を聴いてきた永野とは対照的に、近年話題に上るのが、若者、特にZ世代の「洋楽離れ」だ。彼らに、その魅力を伝えるとすれば? 「はっきりいって、『邦楽は洋楽より下』だと思ってるんで(笑)。Z世代は、レッチリ風の日本のバンドとかを聴いているようなイメージがあります(笑)。俺は本物を見て、苦しく死にたい。今、Z世代より若い世代に、アルファ世代がいるってこないだ知ったんです。俺、もうZ世代の “年寄り” より、まだ陰毛も生えてないアルファ世代となら、ぜひ友達になりたいですね」 Z世代に喧嘩を売るような洋楽論も、ロック仕込みだ。 (1)「これがロックなんだ!」9歳で狂わされた ■『ヨシュア・トゥリー』(1987年 / U2) U2との出会いは9歳のとき。6つ上の兄貴が録画していたビデオ『US(アス)フェス』(1983年)を観て、その出演者の中でクワイエット・ライオットとU2が気に入ったんです。このモノクロのジャケットが渋いでしょ? 歌詞を読むと、世界平和、貧困、国家などの社会問題を扱っていて、「これがロックなんだ!」と勘違いしました。感覚が狂わされましたね。邦楽のバンドがバカっぽく見えました。今思うと、自分が完全に間違ってるんですけど(笑)。 (2) 13歳。「この渋さこそがロックだ」 ■『イントゥ・ザ・ファイヤー』(1987年 / ブライアン・アダムス) モノクロのジャケットがカッコいいと思っていた13歳。「なぜ、人は生きているんだろう?」って真剣に考えていた時期に刺さりました。『ライ麦畑でつかまえて』(サリンジャー)みたいな。 アーティストが世界平和にカブレていた時期で、ブライアンもキャラじゃないのに歌っているんです。U2の流れもあって、「この渋さこそがロックだ」って感じました。世間的な評価はアルバム『レックレス』のほうが高いし、今は僕も同意見だけど、出会ったタイミングがここでした。 (3) 環境保護を訴える歌詞は、子供にはキツかった ■『ナッシング・ライク・ザ・サン』(1987年 / スティング) 流れで見ればわかるんですけど、これもモノクロ(ジャケット)。ジャケ買いです。世界平和を歌うU2でカブレているから、「酒、ドラッグ、セックス、ロックンロール」という方向にいかないわけです。 スティングも環境保護を訴えていました。正直言うと、義務で聴いていました(笑)。買ったからには、聴かなきゃ損なので。当時はそうやって聴き込むのが普通でした。環境保護を訴える歌詞は、子供にはキツかった。堅苦しいスティングが、カッコいいなと思ってました。 (4)「鬱っぽい……」イメージと違ってがっかりした ■『ストレンジウェイズ、ヒア・ウイ・カム』(1987年 / ザ・スミス) 生まれて初めて買ったCDで、これもモノクロのジャケ買いです。CDの帯に「振りかえるがいい、明日のために。」と書いてあって、こういうのが13歳にはグサっとくるんです。U2みたいな音を想像していたのに、1曲めから鬱っぽい曲が衝撃的で、全然イメージと違ってがっかりしました。「なんだよ、これ!」って思いながらも「買ったからには」ですよ。好きになるまで何回も聴きました。憂鬱で暗い歌詞ばかりで、さらに「なんでこんなにやる気のない歌い方なんだ!」と衝撃を受けました。 (5) ジョニーの真似をしてる日本人はダサい! ■『勝手にしやがれ!!』(1977年 / セックス・ピストルズ) じつは、親に頼んで写真集を買ってもらったのが最初なんです。ジョニー・ロットン(ボーカル)、シド・ヴィシャス(ベース)のビジュアルを見て「なんてカッコいいんだ」と思って。スーパーませガキだったんで、かなり洗礼を受けましたね。 でも、ジョニーのまねをして、髪を立てて「ファック!」って言っている日本人のことは超ダサいって思ってました。「それはパンクじゃないぜ!」って。今は改題されてますけど、『Bodies』という曲の邦題は『お前は売女』。最高です。 (6) 爆音に乗せて愚痴を叫ぶのは新しかった ■『ネヴァーマインド』(1991年 / ニルヴァーナ) 高2のとき、衝撃でしたね。カート・コバーン(ギターボーカル)は、僕にとって音楽以上の存在で「めんどくさくていいんだ」って教えてくれた人。大物のライブの前座を断わるなど、子供じみた生き様。爆音に乗せて愚痴を叫ぶ、というのも新しかった。 (7) ブレイク前、「俺はレッチリ知ってるぜ!」 ■『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』(1991年 / レッド・ホット・チリ・ペッパーズ) アメリカではヒットしていたけど、日本ではまだそんなに有名じゃないとき、「俺はレッチリ知ってるぜ!」って思っていました。骨と皮みたいな弱々しい演奏で、ラップとかもすごく新しく見えて、「ヒッピーが現われた!」みたいな感じがカッコよかった。 去年、東京ドーム公演のチケットが2万円もしたんですよ。すげえ嫌で行かなかった。「それがロックなのか?」と思って。セレブな奴が行くから、なんか、俺のレッチリじゃないんだよ。 (8) アメリカのブームについていきたかった ■『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』(1992年 / R.E.M.) R.E.M.はこの世代が生んだ重要なバンドのひとつ。日本じゃあまりメジャーではないけれど、アメリカではすっごい若者から支持されている感じに、ついていきたくて。聴いてみたら、とにかく曲がいい。自分たちの歩幅で音楽をやるんだっていう姿勢は、ニルヴァーナに影響を与えている気がします。カート・コバーンは「R.E.M.は何故あんなに完璧にやれるのかわからない」みたいな言葉を残してるくらい。僕の中ではめちゃくちゃヒットしました。 (9) 常識をめちゃめちゃにぶっ壊された ■『ザ・ファット・オブ・ザ・ランド』(1997年 / ザ・プロディジー) グループの編成が独特なのに驚きました。DJが音を作って、ダンサー、ラッパーとか、よくわからない人たちが作るダンスミュージック。自分の中で、めちゃくちゃ常識をぶち壊してくれました。 これ、アメリカで1位を獲ってるんですよ。日本ではあまりにも過小評価されてる。ロックの要素もあるし、パンクでもある。U2、レッチリ、スティングとかみんな枯れていくのに、彼らは変わらずカッコいい。今もイケイケでやってます。 (10)「放送禁止」のクレイジーリリック ■『リラプス』(2009年 / エミネム) 自分の中でロックはレッチリあたりで終わって、ラップにハマりました。歌詞の内容が連続殺人犯の頭の中みたいな、フィクションが入っていて、テレビで放送できないようなことを歌っている。 こじつけると、この狂気の世界は、自分の表現も影響を受けています。「世界はこんなことやってんだ、すげえ!」と思いました。こんなアルバムが売れちゃうアメリカの異常さと、懐の広さ。コンプラがどうのって言ってる日本が勝てるわけがない。 ※各アルバムの番号は永野が聴いた順 ながの 1974年9月2日生まれ 宮崎県出身 2015年、「ゴッホより、普通に、ラッセンが好き」でブレイク 写真・福田ヨシツグ
週刊FLASH 2024年3月12日号