《ロングインタビュー》立花理佐が笑顔で振り返る「死んじゃうんですかって、何度も聞きました」
「みんなのためになるどころか、私が励まされています」 まさに、衝撃の告白だった。 笑顔とえくぼが魅力的な元気印のアイドルとして活躍した立花理佐(52)が昨年11月24日、自身のブログで’20年に直腸がんと診断され、腸や子宮などを摘出する大手術を受けていたと明かした。 【画像】えくぼも復活! 病状を振り返る立花理佐 がんのステージは3。一時は生きる目標を失い、鬱状態だったともブログに綴った。それでも「自身の経験を伝えることで、誰かの役に立てば」という思いが告白を後押ししたと、立花は振り返る。 「抗がん剤の副作用などで顔がむくみ、疲れも酷くて……治療が始まってからは誰にも会いたくなくて、引きこもりがちになった。この3年間、暗いトンネルの中にいるようでした。公表に踏み切ったのは、友人たちに『現状を発信してみたら』と勧められたから。同じ病気で苦しんでいる方々に少しでも元気や勇気を与えてほしいという思いと――自ら発信することでトンネルから抜け出してほしい、という思いがあったのだと思います。もちろん悩みましたし、簡単じゃなかった」 ブログの文章はすぐに書き終えた。 だが、なかなか公開ボタンが押せない。 「友人たちは『大丈夫』と言ってくれたんですけど、一度アップしてしまったら、もう後戻りはできない。今日を境に、まったく違う人生になってしまうかもしれない。表現が適切じゃないですけど、まるで核ミサイルの発射ボタンに手をかけているかのように緊張しました」 悩みぬいた末の公表だっただけに「誰も関心を持ってくれなかったらどうしよう」と不安だったが、ブログの内容はネットニュースとなり、瞬く間に拡散した。 「かわいそうと思われるのは嫌でしたし、悪い方に転がらないか心配だったのに、コメント欄には激励の言葉が溢れて……みんなのためになるどころか、私が励まされています。公表して本当によかった」 立花は母親を大腸がんで亡くしており、病気の怖さは十分に理解していた。 それでも――お尻の痛みや腹痛、血便などの症状が表れても、恥ずかしさや生来の病院嫌いがたたって、検査を避けた。記憶にある母の症状との違いを探して「がんじゃない」と自分を安心させた。 だが、いよいよトイレに籠もりきりという状態になるに至って家族に強く促され、病院に行った。告知は一人で受けた。 「最初にがんだと聞いたときはピンとこなくて……。『私、死んじゃうんですか?』と何度も先生に聞いて、『何、言ってんの!』と窘(たしな)められました。旦那さんや当時高校生だった息子にはあまり心配かけたくなくて『手術すれば、すぐに治るよ』みたいな感じで話していた気がします」 ◆「現在進行形にしろ」 がんを公表した11.24という日付に意味はなかった。それまで長らく逡巡(しゅんじゅん)していたというだけで、暗闇から抜け出すキッカケとなった出来事はブログアップの約2ヵ月前に起きていた。 「西村知美ちゃん(53)とは昔から仲が良くて、引きこもり気味だったときも、常に声をかけてくれていました。そんななか、知美ちゃんが『クラッシュ・ギャルズ』のマネージャーさんらと、元女子プロレスラーの立野記代(たてののりよ)さん(58)のお店に行くというのでご一緒したんです。私、芸能界に入ってなかったら本気で目指していたと思うくらいの女子プロレスファンで、記(のり)さんと会うのは約20年ぶりでしたが、会うなり『みんな、心配してたんだよ』って……」 その後、ジャンボ堀(61)らも合流。10月1日に横浜武道館で行われた「クラッシュ・ギャルズ」の結成40周年ライブにみんなで行くことになった。 「当日、会場に行くと私が一番好きなレスラーだった小倉由美さん(56)がすぐ横にいて、よく見たら同じ列に憧れの選手がズラッと並んでいたんです! スターの生解説を聞きながら一緒に歌って踊って、子供だったアイドル時代の頃のようにハシャいでいたら、急にこみ上げてきて……家に籠もってちゃだめだ、もっといまを楽しもうと思ったんです」 ライブ終了後、「クラッシュ・ギャルズ」のライオネス飛鳥(60)に「あの日に戻れたみたいで楽しかった」とLINEで御礼すると、こんな返信が届いた。 「過去形じゃなく、現在進行形にしろ」 本人が「子供だった」と振り返るように、立花が芸能界デビューしたのは’86年。お色気シーンで人気を博したドラマ『毎度おさわがせします3』(TBS系)の主演に抜擢されたときはまだ中3だった。 「当時は関西の実家に暮らしていて、CMの撮影で上京したついでにテレビ局などに挨拶まわりしていたら、『主役の子が降りて大変』という話になっていた。そしたら『この子でいいんじゃない?』って声が聞こえてきて……。冗談だと思っていたら、マネージャーが『やるよね?』って(笑)」 撮影まで2週間しかなかったため、急遽、その日から東京生活が始まった。 もっとムチャクチャだったのが、ヒロインとして出演した’88年公開の人気映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎音頭』と『高校与太郎完結篇』だ。 「不良漫画の実写版なんですけど、俳優に交じって″ホンモノ″が複数いたんですよ(笑)。ただ、みんな根はいい人で、すぐになじみました。そもそも、最初は主題歌をお願いされていただけなのに、いつの間にかヒロインの如月翔子役で出演することになっていて……でも、監督は『理佐は姫だから、そのままでいい』と言ってくれて、演じることに自信が持てた。ビー・バップは、初めてお芝居が好きになった作品でもあるんです」 ビー・バップの縁はいまも続いている。 「昨年末、ノブオ(兼子信雄役の古川勉)と銀ちゃん(横浜銀一役の八巻保幸)に、『ビーバップナイト』というライブイベントに呼んでもらったんですよ。ノブオはしょっちゅう電話してきます(笑)」 1月には元『CoCo』の宮前真樹(51)がMCを務めるアイドルイベントに仁藤優子(52)、国実(くにざね)百合(53)らと参加。ヒット曲の『大人はわかってくれない』や『キミはどんとくらい』を披露した。 仕事もプライベートも「楽しいことは積極的にやっていきたい」と前向きだ。 「YouTubeもやってみたいけど、やり方がわからない。というか、スマホも使いこなせないけど、大丈夫ですかね(笑)? 誰か教えてください!」 あの太陽のような笑顔と、チャームポイントのえくぼが帰ってきた。 取材・文:栗原正夫
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