東海道新幹線食堂車全メニュー完食! “虎ハンター”小林邦昭への追悼コメントから浮かび上がった大食漢だった裏側【週刊プロレス】
新日本プロレスでは9・11仙台大会で、9月9日に亡くなった小林邦昭の追悼セレモニーが執り行われ、棚橋弘至社長をはじめトップレスラーから中堅、若手まで、それぞれが“虎ハンター”との思い出を語った。 【蔵出し超貴重写真】タイガーマスクのマスクをはぐ小林邦昭
その中で常日頃から邦昭が後輩に伝えていたのは「体をデカくしろよ」「オマエみたいなデカいレスラーが新日本を変えていく」「昔は今のオレぐらいがジュニアで、ヘビー級なんて120kg、130kgあった」「オマエ(グレート-O-カーン)はデカイから、これからの新日本では大事な逸材だ」との言葉。そこから浮かび上がってくるのが、堂々たるヘビー級へのあこがれである。 邦昭が入門したころの新日本は、トタン屋根で夏には50℃以上になる道場の窓を閉め切り、水を飲むのも許されない環境で非科学的な練習を強いられる毎日。どんなにハードな練習を積んでも、汗で搾り取られてしまうためなかなか太れない。 そこで大切なのが食事。“鬼軍曹”山本小鉄の目が光る下で、どんぶり飯10杯がノルマだった。食欲を増進させるため、食前酒代わりに昼間からビールが用意されていたという。 現在のようにサプリメントも充実しておらず、ちゃんこを食べずにプロテインを摂取していると「こんなものに頼らず飯を食え」と取り上げられた前近代的な時代。前田日明が「食べられなくて腹が減るのも苦しいけど、逆流するほどノド元いっぱいまでメシを詰め込むのも苦しい」と振り返るほどだ。 ただ、大食漢のレスラー仲間の間でも群を抜いての“大食い”だったのが邦昭だった。東海道新幹線での東京-新大阪間の移動中、食堂車のメニューすべてを平らげたのは有名な話。 調べたところ、当時のメニューにはハンバーグ、ビーフシチュー、エビフライ、和風といった定食をはじめ、ポークカツ、カレーライス、チキンライス、スパゲッティ、サラダ、サンドイッチといった一品料理が並んでいた。量にすれば10人前以上。邦昭はこれらを約3時間で胃袋に詰め込んだ。 これを命じたのは小鉄。今ならイジメやパワハラと批判されそうだが、その背景にはなかなか体が大きくならない邦昭に対する“鬼軍曹”の、なんとかレスラーらしい体に成長してもらいたいとの愛があった。 78年2月、藤波辰爾(当時は辰巳)がWWWF世界ジュニアヘビー級王者として凱旋するまでは“100kg以下なんて一人前のレスラーじゃない”という風潮もあった。そんな時代背景もあって、邦昭は一目見て誰からもレスラーだとわかる体にあこがれたのだろう。 何度もガンと闘うことになった邦昭だが、そのたびに「練習してれば大丈夫」と、引退後も時間を見つけては道場でトレーニングを続けていた。その姿を見かけた後輩が声をかけると「どうだ?」と言いながら現役時代よりも太くなった上腕を誇示した。そこには堂々たるヘビー級を追いかけた邦昭の原点が凝縮されていた。 橋爪哲也
週刊プロレス編集部