日本中の職場に溢れる「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれた…人類学者だけが知っている「経済の本質」
---------- 「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。 ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。 ---------- 【写真】多くの人が間違っている「人生の終わり方」
サファリルックで「未開の地」へ?
そもそも、人類学とは何でしょうか。みなさんは人類学という言葉を聞いたとき、どのようなイメージを思い浮かべるでしょう。サファリルックのような服装で「未開」の部族に入り込み、フィールドワークをつうじてその人たちの文化を明らかにする学問? たしかにそれもひとつの見方です。ただ、それはある意味で固定化されたイメージにすぎません。 たとえば最近では、デヴィッド・グレーバーによる『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(2018年)が話題となりました。誰も読まない文書の作成、いつまでも結論が出ない会議の連続……。現代にはやりがいもなく、無意味な仕事が蔓延しています。読者のみなさんも、「なんでこんな無駄な仕事があるんだろう」と感じる場面が多いかもしれません。効率化が進んだ現代において、「無駄」な仕事はどんどん淘汰されていくと思われていました。ところが、そのような無意味な仕事は逆に増えていくばかりです。それらをブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)と断言したグレーバーの研究は、社会の中での生産や分配、消費などの人間の経済生活を考察するという点で経済人類学として位置付けられます。それだけではなく、いまや人類学は、芸術人類学や医療人類学、観光人類学、映像人類学、心理人類学、宗教人類学など多岐にわたっています。 このようにずらりと並んだ下位分野を見ると、人類学とは何をやっているか分からない、正体不明の学問のようにも思えるでしょう。 ですが、人類学が誕生して以来、この学問が問い続けてきた本質は何も変わりません。それは「人間とは何か」という問いです。 人間とは何か。その根源的な問題を追い続けて、人類学者たちは悩み、悪戦苦闘してきたのです。そして彼らが見つけ出してきた答えは、今を生きている私たちのものの見方や生き方を変え、現実を生き抜くための「武器」にもなり得るのです。