『ミツバチのささやき』主演俳優が語る、50年後の「アナ」役。『瞳をとじて』に刻まれた記憶と人生
「私はアナよ」。スペインの巨匠ビクトル・エリセの傑作、『ミツバチのささやき』(1973年)は、主人公の少女・アナのひとことで幕を閉じる。演じたのは、そのキュートな表情でいまも多くの人々に記憶されているアナ・トレントだ。 【動画】『瞳をとじて』予告編 『ミツバチのささやき』は1985年に日本公開され、ミニシアター「シネ・ヴィヴァン六本木」で当時の動員記録を樹立したヒット作。ミニシアターブームを代表する映画となっただけでなく、黒澤明が深く愛し、宮﨑駿も影響を受けたといわれる。世界でも高い評価を受けており、オールタイム・ベストに挙げる評論家も少なくない。 もっとも、エリセはきわめて寡作のフィルムメイカーである。長編デビュー作だった『ミツバチのささやき』以降は、『エル・スール』(1983年)と『マルメロの陽光』(1992)という2本の長編のほか、短編映画などをいくつか手がけたが、なかなか長編映画に復帰するには至らなかった。 『瞳をとじて』は、そんなエリセが贈る31年ぶりの新作長編。元映画監督の男が、22年前の映画撮影中に失踪した主演俳優を探すうち、自らの半生を回想してゆく物語である。 『ミツバチのささやき』の主演アナ・トレントは、本作でエリセと50年ぶりの本格タッグを組んだ。演じたのは、失踪した俳優の娘という役どころ。役名は自身の本名とも、そして『ミツバチのささやき』とも同じ「アナ」である。 「この名前にはどんな意味があるのか、私は何者なのか」。日本公開に先駆けてのインタビューで、アナ・トレントはそう語った。なぜ、エリセは彼女にいつも「アナ」役を与えるのだろうか? 『ミツバチのささやき』当時は自分を役者と思っていなかった彼女は、50年後の再タッグをどう捉えたのか? 長年にわたるふたりの関係や、いまも『ミツバチのささやき』が観られつづけていることについての、思索的で示唆深い言葉の数々をお届けする。
ビクトル・エリセは人生を見守ってくれる人。初主演作から50年間の信頼関係
―アナさんがビクトル・エリセ監督の長編映画に出演するのは、『ミツバチのささやき』以来じつに50年ぶりです。まずは出演のお話を受けた際の感想をお聞かせください。 アナ:とても感動しました。なぜなら私にとってビクトルは、ただの映画監督ではなく、人生を見守ってくれる人。彼がいなければ、私が映画の世界に飛び込み、映画に自らを捧げることはなかったと思います。 だから、この映画の話をはじめて聞いたあとは――そのときは彼と一緒に夕食をとっていたのですが――家に帰ってから、子どもの頃や両親のことをたくさん思い出しました。ビクトルは心から尊敬する偉大な監督であり、人生になくてはならない大切な存在。ふたたび彼と仕事ができること、同じ現場にいられることには非常に大きな意味がありました。 ―本作の脚本をはじめて読まれたとき、どのような感想を持ちましたか? 物語のどのような部分に惹かれたのでしょうか。 アナ:素晴らしい脚本だと思いましたし、そのことは完成した映画が証明していると思います。私がビクトルの脚本にあれこれ言う資格があるのかわかりませんが、とても見事で、かつ美しく、読んでいて楽しい脚本でした。彼の脚本は、シチュエーションや台詞の書き方だけでなく、ト書き(人物の動作や行動の表現)までもが詩的なのです。物語に感動しましたし、ある象徴的な台詞が出てきたことに驚きました。ビクトルがこの物語を通じて映画について語っていることにも心が震えましたね。 ただし私は、ビクトルの撮る映画なら、きっと脚本を渡してもらえていなくても参加するだろうと思います。たとえば今日いきなり電話がかかってきて、「明日撮影したいんだ」と言われても出るでしょう。それくらい、彼のことを全面的に信頼しているんです。