「野球しかやってきていませんが、御社では役員になれますか」 大阪桐蔭「藤浪世代」の森島貴文は指導者ではなくサラリーマンを選んだ
その話を聞きながら、森島の代のキャプテン・水本弦のことを思い出した。昨年10月から代表取締役として会社を立ち上げた水本に、この先の目標を尋ねると迷うことなく「会社を経営するからには上場です!」と返してきた。会社経営についてはまだほとんど何もわかっていないが、やるからには目指しますと。元大阪桐蔭のキャプテンらしい明快な意気込みを感じたが、今回の森島からも水本に通じる思考が伝わってきた。 「一緒だと思いますよ。僕は水本みたいに起業する勇気はないですけど、この会社のなかでどこまで昇っていけるか。22歳まで野球だけやってきた人間が、誰もが知るような会社で役員にでもなったらちょっと面白くないですか。会社に骨を埋めるつもりで、昇れるところまで昇っていきたいです」 子どもの頃から勝負の世界に身を置いてきた者たちの性でもあるのか。目指すべき場所が定まれば、あとはガムシャラに走る。超えるべきハードルが高ければ高いほど、気持ちは燃え上がる。森島、水本のふたりにとっては、"役員"も"上場"も上を目指して駆け上がっていくためのパワーワードだったのだろう。甲子園を知らなかったメンバーが、言葉ひとつでその気になった「春夏連覇」と同じように。 森島は昨年10月、第一子が誕生した。両家の祖父、祖母らの喜びに胸を熱くしたと同時に、親になった責任をたしかに感じたという。さらにこの9月には、30歳の節目も迎える。 「会社でも、20代の間は上の人が多くいて、そこについていけば何とかなるというところもありました。でも30代は、仕事でも、人間的なところでも、自分のレベルをひとつ上げて、言動に責任を持っていかないといけない。しっかり後輩を引っ張っていきたいです」 それまでの野球一色の生活から一変。仕事を覚えながら突っ走ってきた20代が過ぎ、ここからの10年、そしてまた次の10年。 「10年後、20年後、どうなっているか......ですね」 会社では頼れる仕事人に、家庭ではよき父親に。日本一のブルペンキャッチャーから究極のサラリーマンへ。堅実に、時に大胆に、森島は歩み続ける。 (文中敬称略)
谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro