会話をしながら「むき出しの脳」よりがんを切除…41歳の新聞記者が命をかけた「覚醒下手術」の壮絶
■すさまじいスピードで腫瘍が広がる しかし、9月28日にとったMRIの画像に、岩立は衝撃をうける。 もう左前頭葉の中心部に2センチほどの白い影が見て取れた。 再発である。 再発をするともう手だてがなかった。 再手術という方法がとれる患者もいるが、桂の場合、あっという間に、腫瘍が右脳にまでもひろがり手のほどこしようがなかった。 次第に話をしなくなり、意識レベルがおちていって、寝たきりになった。 病室の桂は、目をひらいて天井をみつめていた。 が、話ができる状態ではなかった。 ただ、手を握ると、柔道をやっていたごつい手でぎゅうっと握り返してきた。 年が明けて1月30日、桂は本当に眠るように逝った。享年41。 ■膠芽腫をたて糸とした治療法の開発史 膠芽腫の患者を救えなかった脳神経外科医の思いを、金沢大学医学部の中田光俊はこんなふうに表現している。 〈病院の地下の長い廊下を外来から病棟へ向かうと霊柩車が待つ駐車場に行き着く。ここに病棟で亡くなられた方が運ばれ、静かに見送られる。私はこれまで自身の無力さを痛感しながら何度ここで頭を垂れたことだろう〉 進行が電光石火のように早く、どんなに慎重に手術をしてもとりきれずに、再発すると半年もたたずに亡くなっていく膠芽腫というがん。 がんの治療法は、手術、抗がん剤、放射線というみっつの標準療法がある。 標準療法以降のがんの治療法の歴史を、と出版社に依頼された私が、この病気を縦糸にして書くことが、標準療法以降の療法の開発史を書くことになると気がついたのは、取材を始めてだいぶたってからのことである。 開頭をして、脳がむきだしの状態で麻酔をさまし、摘出部分をさぐるという想像もつかないような手術をしても、助からない難しい病気。 その手術のあと放射線を限度いっぱいまで浴び、抗がん剤も処方されてきたにもかかわらず、あっという間に再発し、亡くなっていくのだ。 しかし、だからこそ、他に治療法がないということで、さまざまな治療法がこの病気に挑んできた。 ■「原子炉をつかう」という奇想天外な治療法 あるアプローチは、遺伝子を改変したウイルスを患部に感染させることで治療しようとし(遺伝子改変ウイルス)、またあるアプローチは、光に反応して収縮する物質をがんだけに届けることで、がん細胞ひとつひとつを殺して治療しようとする(光免疫療法)。 その中でもっとも歴史の長い、原子炉をつかってがんを治療するという奇想天外な治療法(BNCT)の話から始めよう。 舞台は、2002年1月23日の大阪府熊取にある京都大学が持つ実験用の原子炉にうつる。 この日、膠芽腫の摘出手術をしたが、桂のように再発をしてしまった61歳の男性の患者が、最後の望みをかけてその治療をうけたのである。 まだ厚生労働省の承認をうけた治療ではない。臨床試験としての治療だった。 そのやりかたとは、ホウ素剤を点滴したうえで、開頭手術をし、むきだしになった脳の患部に、原子炉からとりだした中性子をあてるという方法だった。 それをホウ素中性子捕捉療法(BNCT=Boron Neutron Capture Therapy)という。 (『がん征服』第1章に続く) ---------- 下山 進(しもやま・すすむ) ノンフィクション作家 1986年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年、文藝春秋に入社。編集者として、一貫してノンフィクション畑を歩き、河北新報社『河北新報のいちばん長い日』、ケン・オーレッタ『グーグル秘録』、船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』、ジリアン・テット『サイロ・エフェクト』などを手がけた。19年3月、同社退社。2018年4月より前期は慶應義塾大学SFC、後期は上智大学新聞学科で、「今後繁栄するメディアの条件」を探る講座「2050年のメディア」を開講している。 著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善ライブラリー)、『勝負の分かれ目』(角川文庫)、『2050年のメディア』(文藝春秋)。最新刊は『アルツハイマー征服』(KADOKAWA)。 ----------
ノンフィクション作家 下山 進