なんと「日本神話」が再現されていた…日本人のほとんどが知らない、建設現場で行われる「地鎮祭」の真実
祖国と常世
これらのことをもう少し大きな目で説明すると、産土や産屋は私たちのマザーカントリーのモデルだということになります。 私は、日本のことを考えるときに、いつも私たち日本人は「祖国」のことをどのように見てきたのだろうかということに思いを募らせます。祖国とは「母国」のことです。すなわちマザーカントリー。 しかし日本人は、あまり「祖国」とか「母国」という言い方をしない。照れかくしなのか遠慮深いのか、そこはよくわかりませんが、せいぜい「わが国」とか「日本は」とか「私たちの国は」という言い方になる。天皇のお言葉でも「祖国」や「母国」は使われない。私は、もっと使っていったほうがいいと思っています。 かつて民俗学者の折口信夫は古代研究を始めた当初から、日本人の心の奥にあるマザーカントリーのことを「妣が国」とか「妣なる国」と呼びました。この「妣が国」は、民俗学ではしばしば「常世」と同定されてきました。 常世は「常にそこに待ってくれている産土の国」ということです。やはり民俗学者であった谷川健一に『常世論』(講談社学術文庫)があります。日本人の原郷としての常世をマザーカントリーとみなした名文です。ぜひ読まれることを奨めます。 さらに連載記事<日本人なのに「日本文化」を知らなすぎる…「知の巨人」松岡正剛が最期に伝えたかった「日本とは何か」>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。
松岡 正剛