朝ドラ『おむすび』で輝く25歳、「超一流俳優の弟」の事実抜きにして魅力的だと言えるワケ
上手から下手への移動
何がどうきらめいたか。その背中である。結が最寄駅に到着してすぐ、同じ電車に乗っていた陽太はあとを追ってきた。そのとき、改札を出て自転車置場まで移動する陽太をカメラがフォローしてワンショットで丸ごと写している。 上手(改札)から下手(自転車置場)への移動中、がっしりと分厚い背中がとても印象的である。この背中なら、「俺に任せり」といわれても確かに頼りがいがあるように感じるかもしれない。 筆者は菅生新樹の演技をそれほど熱心に見つめてきたわけではないが、ひとまず彼の俳優としての特性は上手から下手への移動中に発揮され、なおかつその背中が十分な存在感を担保しているらしいことはわかった。
画面には写らないものが写る魅力
菅生のドラマ初出演作は『初恋の悪魔』(日本テレビ、2022年)だった。伊藤英明演じる警察署長の息子役として第8話ラストで登場する。同作での初登場場面を見ると、署長が帰ってきたところへ家から出てきて上手から下手まで移動する芝居がやっぱりある。カットが替わわる寸前で背中もちゃんと写る。 画面右から左への演出上の単純な動線移動だが、派手でもなんでもない初登場場面での動きがシンプルだからこそ、あぁこんな新人俳優が出てきたんだなと、視聴者への顔見せとしては申し分ない。仮にその時点で、彼が菅田将暉を実の兄にもつという、画面外の情報を知らなくても一向に構わない。 一方で菅生にはどうも画面の外というか、本来画面には写らないはずのものが写る魅力があるようにも思う。別に怖い話をしようとしているわけではない。『おむすび』にしろ『初恋の悪魔』にしろ、単純な動線移動中の菅生からは、不思議と本人の温かい人柄が画面上に写っているように感じてしまうのである(実際に会ったわけでもないのだから、本人の人柄が温かいかどうかなんてわからないのに!)。
不可能を限りなく可能に近づける人
映画でもテレビドラマでもよく人間の心理を写すという言い方がある。でも実際そんなものは画面上には写らない。というか写しっこない。だって画面上にはただ、あるキャラクターを演じる俳優の物理的な身体が写るばかりだからである。 それでも俳優は、心理らしきもの、あるいはそれに近いものを演技によって表現しようと苦心する。役作りにおいては自分の性格と演じる役柄との共通点などを探る作業もあるが、俳優の内面そのものが画面上に写ることは基本的には不可能である(映画と心理については菅田将暉主演映画『Cloud クラウド』公開記念インタビューにて黒沢清監督が語っている)。 にもかかわらず、ある種の俳優の演技を見たとき、そこにふと俳優本人の人柄をいやがおうにものぞいてしまったと感じてしまうことがある。菅生はまさにそうした特別な才能のひとりであり、不可能を限りなく可能に近づける人だと思う。 確かに目立つ演技をする人ではない。兄の菅田将暉なら、たとえば『Cloud クラウド』で内面をはるか超越した外面の極地に到達している。『おむすび』の菅生新樹は、これから半年間レギュラー出演する間に、どんどん如実に目立ってくると思う。 <文/加賀谷健> 【加賀谷健】 音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
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